2015年9月2日水曜日

《ヘブル書連続説教 30》 キリストに栄光が世々限りなく

 ヘブル書連続説教は今日が30回目で、最終回であります。扱う箇所は13章18節以下ですが、最初の18-19節は「私たちのために祈ってください」という祈りの要請です。そこには「私のためにも祈ってください」という意味が込められていると思います。「私たちは(また私も)、正しい良心を持っていると確信しており、何事についても正しく行動したいと願っているから」、そのために祈ってほしいのです。「正しい良心を持っている」とは、岩波訳を参照しますと、「内奥の意識が良い状態にあること」に他なりません。
「良心」というのは、すごく分かりにくいものですが、やはり心の奥深い所にあるものなんでしょうね。それが人間を動かす力にもなってくるんじゃないか、と思います。人は表面的に話していることと違う行動をする場合がよくあります。いざ人が行動する時には、その人の表面的な言葉ではなく、心の奥深い所で思っていることが現れる、いった場合が多く見られるのではないでしょうか。ですから、そういう心の奥深い所にある意識が良い状態にあるのは望ましいことであり、そうありたいと心から願います。
次に、飛んで22節以下を見ましょう。ここを読むと、この文書が手紙である体裁を整えていることが分かります。手紙らしい締めくくりの言葉、挨拶も見られます。「兄弟たち。このような勧めのことばを受けてください。私はただ手短に書きました」(22節)。その後に個人的な消息が続きます。「私たちの兄弟テモテが釈放されたことをお知らせします。もし彼が早く来れば、私は彼といっしょにあなたがたに会えるでしょう」(23節)。著者はこの文書の受け手たちのところへ行こうとしていたことが分かります。それから「すべてのあなたがたの指導者たち、また、すべての聖徒たちによろしく言ってください。イタリヤから来た人たちが、あなたがたによろしくと言っています」(24節)と、挨拶の言葉を伝えているのです。
この22節以下が欠けている写本上の証拠はありません。それでも、手紙としての体裁を整えるために付け加えられたのではないか、という仮説が唱えられています。パウロが書いたものではないのに、パウロの手紙の一つに数えることが伝統的に行われてきました。パウロの手紙を示唆するためにテモテを登場させていると考えると、仮設の可能性が大きくなります。実際、ここにテモテが出てくるのは、この文書全体の流れから見て、唐突の感を免れないからです。
私としては、この文書は20-21節の素晴らしい祝祷で終わったほうが相応(ふさわ)しいな、と思っています。この文書の性格は基本的には説教であり、説教の終わりは祝祷であるからです。この箇所で一番よく目に留まるのも、20-21節ではないでしょうか。また、私たちの心が一番惹かれるのも、20-21節ではないでしょうか。
読んでみます。「永遠の契約の血による羊の大牧者、私たちの主イエスを死者の中から導き出された平和の神が、イエス・キリストにより、御前でみこころにかなうことを私たちのうちに行い、あなたがたがみこころを行うことができるために、すべての良いことについて、あなたがたを完全な者としてくださいますように。どうか、キリストに栄光が世々限りなくありますように。アーメン。」「アーメン」で結ばれているので、これで終わってよいのではないでしょうか。
この文書の著者は、パウロやヨハネ福音書の著者に優るとも劣らない神学者であります。そういう人として、彼はヘブル書の中で勧めの言葉を述べながら、深くて鋭い神学的洞察を盛り込んでいます。その現れの一つが大祭司キリスト論です。それがヘブル書の主題であり、キリストが私たちの偉大な大祭司であることを知ってほしいとの熱い思いから、これを書いています。その大祭司キリスト論を柱として、あるいは土台として、いろいろ慰めに満ちた勧告の言葉を述べてきました。そういうことで、その語り口や切り口は、パウロと[またヨハネ福音書の著者と]違います。それにもかかわらず、本書の著者は、パウロやヨハネ福音書の著者が伝えたのと同じキリストの福音を伝えているのです。
 本書の著者の特に優れている点は、終末論的な捉え方に見られます。それはパウロの手紙にもヨハネ福音書にも見られるもので、イエス・キリストの出来事は終末論的な出来事である、という捉え方です。ヘブル書の著者は冒頭から「神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました」(1:1-2a)と書いています。「ただ一度」という言葉が9章や10章に何回も出てまいりますが、それは《一度で全部》という意味で、二度と繰り返す必要がない永遠的な出来事を表しています。イエス・キリストが十字架の死において成し遂げてくださった贖いは、一度で永遠的な意味を持つ、まさに終末論的な出来事であるのです。
 イエス・キリストの復活のいのちも、一度で全部[終わりまで]をまかなう《終末論的いのち》であり、それこそが「永遠のいのち」であります。イエス・キリストを信じて、そのいのちをいただくということは、まさに「永遠のいのち」をいただいていることなのです。パウロもヨハネ福音書の著者も、そのことをよく教えてくれていますね。
 13章8節を改めて見てください。前回の説教では、13章8節の聖句に焦点を合わせることをしませんでした。それで今回、この聖句に少しばかり言及しておきます。「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも同じです。」 この聖句は、ある意味で、ヘブル書のキー・ノート、まさに基調的な言葉なのです。ですから、前回はこの聖句に基づいて説教してもよかったのです。でも今回があり、その時にこの聖句にも触れて話したいと考えていましたので、前回は別の角度から説教をさせていただきました。
 「きのうもきょうも、いつまでも同じ」ということは、いったいどういうことか。いつまでも同じだったら、ちっとも進歩がないではないか。そんなふうに私たちは考えやすいのですが、ここに終末論的な捉え方がよく示されています。一度で全部、一度で終わり、一度で永遠なんです。だから、イエス・キリストは、きのうもきょうも、いついつまでも同じなんです。そのことをしっかり覚えていただきたい。そういうイエス様を信じているのであり、そういうイエス様が私のための大祭司として、いつも私のために祈っていてくださるのだ、ということを覚えたいのです。それを覚える時に、感謝があふれ、喜び湧いてまいります。《私は本当に永遠のいのちにあずかっているんだ》ということが、よく分かってまいりますよ。
 これはすごい聖句ですね。イエス・キリストは、きのうもきょうも、これから後も、私たちの救いのためには、同じ力・同じ愛をお持ちの方であります。私たちに現してくださった神の愛において、キリストはきのうもきょうも同じで変わらないのです。イエス様の愛はきょうよりもきのうのほうが多かった、というようなことはありません。それは満ち満ちた愛ですから、いつも同じです。これからも同じなんです。イエス・キリストの満ち満ちた愛、それは神の愛ですね。
イエス・キリストにおいて現された神の愛、それから私たちを引き離すものは何もありません。そのようにパウロはローマ8章39節で高らかに歌い上げました。これは私たちも心から歌うことのできる信仰の告白ではありませんか。キリスト・イエスにおいて神の愛は、きのうもきょうも、そして明日も同じです。少しも変わりません。これは本当にすばらしい真理です。
 さて、この祝祷の中で「羊の大牧者」という言葉が使われていますね。これは「永遠の大祭司キリスト」と同じことです。永遠の大祭司キリストを、別の言い方にすると、「永遠の契約による羊の大牧者」というになるのです。この大祭司は、神と人との間に立ってとりなしをしてくださいます。そのおかげで、私は神の御前に大胆に、憚(はばか)ることなく近づくことができるのです。そういう大祭司は、まさに大牧者ではありませんか。大祭司は大牧者なのです。
 「永遠の契約」「永遠の大祭司」という時の「永遠の」というのは、先に話したように、《一度で全部》ということに支えられています。イエス・キリストは、ただ一度、十字架にご自身をささげてくださった。ただ一度、死からよみがえらされた。そして、ただ一度,高く天に上げられた。これらのことは、すべて永遠的な意味を持つのです。こうして立てられた新しい契約において、神は私たちの罪を思い出すことをしないほど徹底的に赦し、神の愛の律法を私たちの思いの中に記してくださっています。新約の時代は、まさにそのようであるのです。
 パウロの言葉を参考にしましょう。コリント人への手紙第二の3章4節からを読みます。「私たちはキリストによって、神の御前でこういう確信を持っています。何事かを自分のしたことと考える資格が私たち自身にあるというのではありません。私たちの資格は神からのものです。神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊(聖霊)に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。」 そして17-18節には、「主は御霊(聖霊)です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、……主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じ姿に変えられて行きます。これはまさに、御霊(聖霊)なる主の働きによるのです」と言われています。
 新しい契約の特色は、《神のことばが私たちの心に聖霊によって書き記されている》ということではないでしょうか。私たちは文字として与えられている聖書を大事にしています。けれども、本当に聖書を大事にすることは、文字をありがたがることだけではありません。文字は人を殺すとまで言われているではありませんか。文字だけでは足りないのです。聖霊こそ私たちを生かしてくださる要因であります。聖書の[文字としての]言葉には聖霊のお働きが伴っているのです。
私たちは聖書を読むときに、聖霊が語りかけてくださることばをしっかり聴かなければなりません。そのようにして聴いたことばが私の心に刻まれていくのです。そういう恵みの中に今の私たちは置かれています。そのことを可能にしてくれている新しい契約は、まさに「永遠の契約」であるのです。本当にありがたいことではありませんか。
 それから祝祷は、「私たちの主イエスを死者の中から導き出された平和の神が……」と続きます。「平和の神」が主語であって、その前の長い句は「平和の神」を修飾しているのです。その修飾句である「私たちの主イエスを死者の中から導き出された」というのは、言い換えれば、「主イエスを死者の中からよみがえらせた」ということになります。ここにヘブル書で初めて、イエス・キリストの復活のことが言われているのです。これまで本書には、復活という言葉が直接使われることはありませんでした。
もう一度、1章3節を見てください。その後半に、御子キリストは「罪のきよめを成し遂げて、すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれました」とありますが、そこには復活の出来事が当然あったわけで、それを前提にしてこう言われているものと考えられます。でも、「復活させられた」「よみがえらせられた」という表現はありません。パウロが本書の著者であるなら、復活(よみがえり)という言葉を使わないはずはありせん。それでも、ようやく最後の祝祷の中で、パウロではない本書の著者も、「主イエスを死者の中から導き出された」という言い方で、はっきり復活の出来事に言及してくれているのです。
 この「平和の神」は、私たちに罪の赦しを賜り、永遠のいのちを賜り、私たちを神の子としてくださいます。このように私たちが神の子とされて、神との平和を持つようになることが、私たちの間で平和を実現する根本であるからです。そのために平和の神は、御子イエスを死者の中からよみがえらせ、高く天に上げてご自分の右の座に着かせ、さらに聖霊によって、そのイエス様を私たちのところに遣わしてくださっているのです。
 祝祷は、その平和の神が、「イエス・キリストにより、御前でみこころにかなうことを私たちのうちに行い、あなたがたがみこころを行うことができるために、すべての良いことについて、あなたがたを完全な者としてくださいますように」と、21節へ続きます。「完全な者としてくださいますように」は、壊れたもの繕(つくろ)う意味のカタルティゾーという動詞がギリシア語原文で使われているので、「整えてくださいますように」くらいの訳がよいと思います。
 いつ、どのように整えられていくのか。それは朝ごとの神様、イエス様とのお交わりにおいてであります。いわゆるディヴォーションの時、アシュラムでいう朝ごとのレビの時・静聴の時に、平和の神の御前に近づき、永遠の契約に基づいて、活けるイエス様から御父の愛[具体的には、罪の赦し、永遠のいのち、神の子としての特権を与えられていること]を福音していただきましょう。そうすることにより、私たちはすべての良いこと(いつも喜び、絶えず祈り、どんな場合にも感謝すること)において整えられ、完全な者とされていくのです。朝ごとに、「平和の神」である御父の愛の福音をしっかり聴いて、完全な者となるように[種々の破れを繕われようにして]整えられてまいりましょう。
 自分で完全な者なろうとして頑張るのではありません。いくら頑張っても完全な者にはなれません。肝腎なことは、恵みの御座の前に憚らず出ることです。憚ることなく恵みの御座に近づきましょう(4:16参照)! そして、永遠の新しい契約に基づく神様の愛を福音していただきましょう! 
 さて、その後に「どうか、この方[キリスト]に栄光が世々限りなくありますように」という頌栄が続き、これで祝祷が終わっています。
「この方」は「神」とも「キリスト」とも取れますが、この場合は新改訳にように「キリスト」でよいでしょう。「キリストに栄光が世々限りなくありますように。アーメン」と言うとき、どんなことが具体的に考えられているのか。そのことが大事です。言葉だけが流れて行ったのでは何にもなりません。

 「キリストに栄光が世々限りなくありますように」という人は、日ごと新たに、朝ごとに、いや折りあるごとに、キリストをしっかり見つめているのです。見つめるごとに、活けるイエス様から福音していただくことができます。そういう恵みを生活の中で豊かに経験させられているとき、「キリストに栄光が世々限りなくありますように。アーメン」と唱える頌栄が、本当に生きたものとなるのです。          (村瀬俊夫 2006.7.2)

《ヘブル書連続説教 29》 讃美のいけにえを絶えずささげよう

  今日はペンテコステ礼拝です。蓮沼キリスト教会は、毎年ペンテコステを覚えて、この日の礼拝を大切に守っています。しかし、プロテスタント教会では、ペンテコステ礼拝が忘れられているような気配がします。クリスマスを忘れることはありません。かなり前からクリスマスを迎える準備を始めています。イースターも忘れることはないでしょう。それなりの行事を計画している教会が、ほとんどですね。それに比べると、ペンテコステは忘れてしまわないまでも、軽視されている現状があるのではないでしょうか。
ペンテコステは、クリスマス・イースターと共に、キリスト教の三つの大きな祝祭日の一つです。私は、この三つの中でペンテコステが一番大事だと思っています。それで蓮沼キリスト教会は、そのために特別に行事をするわけではありませんが、この日を大切に守ってきております。本日の週報にも、坂本牧師がペンテコステについて、とてもよい解説を書いていてくれます。
 通俗的にペンテコステは教会の誕生日と言われており、この意味でペンテコステを大切にしている教会もあるのです。しかし、聖書をよく読んでいきますと、ペンテコステ以前に教会はなかったのか、という疑問が生じます。聖霊降臨を待ち望んで50日間、特にその終わりの10日間、120人ほどの弟子たちが一ヶ所に集まって熱心に祈りをささげていました(使徒1章参照)。その群れは教会ではなかったのでしょうか。そんなことはありません。復活されたイエス様によって[躓き倒れていた]弟子たちが呼び集められた、その時にイエス・キリストの教会は、まさに[間違いなく]存在していたのです。
ですから聖霊降臨には、教会の誕生日ではなく、もっと別の意味があります。週報には「ユダヤ教という民族宗教を越え、キリスト教が普遍的な宗教となったことに意義があります。民族や身分の壁を超えた教会に生まれ変わった日が、今日(ペンテコステ)なのです」と解説してあります。聖霊降臨以前の教会の状況は、民族や身分の壁の中にあったかもしれない。しかし、聖霊降臨によって教会はそのような壁を超えた。これは、一つの重要な見解であると思います。
もう一つ、聖霊降臨のとき、そこに世界の各地から集まっていた人々が、いろいろな国の言葉で語り始めたという事実は、《教会の世界宣教を宣告している》ものと思わずにはいられません。私は、ペンテコステは教会の世界宣教開始の日であり、《教会の世界宣教がこのペンテコステの日に始まったのだ》と理解するのが、聖書に一番即した受けとめ方であると確信しています。皆様も、そのように受けとめてください。今日は、そのペンテコステであることを覚えつつ、ヘブル書の連続説教をさせていただきます。
 今日の箇所は、もう終わりに近い13章7~17節です。7節には、本書の朗読を聴く人々に、「神のみことばをあなたがたに話した指導者たちのことを、思い出しなさい。彼らの生活の結末を見て、その信仰にならいなさい」と勧めています。迫害が厳しくなっていた当時の状況から、「彼らの生活の結末」には殉教の死ということも十分に考えられたでしょう。このような勧めを自分に当てはめ、《私にとって、その信仰にならうべき指導者とは誰なのか》と考えてみました。
 それで週報の説教要旨に、お二人の名前を挙げておきました。昨年の秋に天に召された、アシュラムセンター主幹牧師であった田中恒夫先生は、私がいつも見習っていた指導者の一人であったと思います。年齢的には私のほうが一回り上なのですが、霊的な事柄において年功序列はあまり関係がありません。私より一回り若い田中先生から、私はアシュラムを通してたくさんのことを学ばせていただきました。そして今も、田中先生の信仰に学びたい、という熱い思いでおります。
 もう一人は、私が若い頃に影響を受けた方で、東大総長もされた有名な矢内原忠雄先生です。無教会主義の信仰に立ち、ご自身で日曜日に集会を開いて聖書の講義を続け、また『嘉信』という月刊誌を出し続けてこられました。無教会主義の指導者の方々の多くは、主筆として月刊誌を出しておられます。それには他の人の寄稿も許されます。しかし『嘉信』は、全部矢内原先生が書いておられました。それに私はとても惹かれて、いつか私もそんなものを出したいな、という思いがあったのです。現職の牧師の間は忙しくて個人誌など出すことは不可能でしたが、二〇〇三年末の引退を待って四ヶ月ほど間を置き、二〇〇四年五月から念願の刊行に漕ぎつけたのが『西東京だより』であります。これを全部私が書いていますが、それは矢内原先生の影響であり、その信仰に少しでもならいたいという思いの表れでもあるのです。
 矢内原先生は戦時下、軍部の圧力に屈せず闘われ、そのために東大教授の職を追われました。植民地政策が専門でしたから、満州事変以後の日本の侵略行為に対する批判的論稿を書き、また講演をされました。それで軍部から睨まれていたのですが、ある講演会で「日本の理想を生かすために、ひとまずこの国を葬ってください」と結んだ言葉が、当局の怒りに触れてしまったのです。
 私が知った矢内原先生は、戦後東大に迎えられて総長になられた時ですが、毎年3月下旬の日曜日午後に開かれていた「内村鑑三記念講演会」で必ず講師の一人として講演されました。それを私は毎年欠かさず聴きに行きましたが、それがどれほど私の信仰の糧になったか分かりません。私も微力ながら、正義と理想のために闘わなければならないという思いを心に刻まれたことも確かです。私自身、そういう指導者の一人になれるだろうかと思うと心もとないのですが、できるだけ良い指導者にさせていただきたい、という思いだけは忘れずにおります。
 17節を見ると、「あなたがたの指導者の言うことを聞き、また服従しなさい」勧められています。その理由として、「この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです」と述べられています。「見張りをしている」は少し意訳した表現で、直訳すれば「眠らないでいる」で、それを岩波訳は「不眠の努力をしている」とうまく訳しています。牧師たる者は、群れのたましいを守るために「不眠の努力をする」のだ、と教えられているのです。私など、どれだけそうしてきたかを顧みるとき、忸怩(じくじ)たる思いにさせられます。
 そういう牧師たちのため、群れの信徒たちが支えていく義務があることも忘れてはならない。それで「この人(牧師)たちが喜んでそのことをし、嘆いてすることがないようにしなさい」と、信徒は牧師の指導によく従うように勧められているのです(17節後半)。
 さて、「信仰にならいなさい」と7節に言われていますが、その「信仰」の根源と対象はイエス・キリストです。8節に「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも同じです」と言われています。週報には、ギリシア語原文に即した私訳を示しておきました。キリストは「きのうもきょうも同じ方、そしていついつまでも。」「いつまでも」でもかまいませんが、原文は複数形なので「いついつまでも」と言ったほうがよいでしょう。私たちのためにとりなしをしてくださる大祭司キリストは、きのうもきょうも、いついつまでも同じ方で、変わることがありません。そのキリストの恵みも愛も、いくら時と所が変わっても、決して変わることがありません。イエス・キリストは、いつも変わりなく、いつも同じ方として、神がいつも[そして、いついつまでも]私たちと共にいてくださるインマヌエルなのです。
 9節には、「さまざまの異なった教えによって迷わされてはなりません。食物によってではなく、恵みによって心を強めるのは良いことです。食物に気を取られた者は益を受けませんでした」とあります。旧約聖書の食物規定について言われていることでしょうが、大事なのは「恵みによって心を強める」ことです。ここも私訳を説教要旨に載せました。「恵みで心がしゃんとするのはすばらしいことです」と。「強める」と新改訳が訳したギリシア語は「堅固にする、確立する」という意味で、恵みによって心が堅固にされることは「心がしゃんとする」ことなのです。
 きのうもきょうも、いついつまでも同じ方である活けるイエス様。そのイエス様の恵みと愛によって「心がしゃんとする」という、すばらしい経験を日々に味わうようにさせていただきたい。いつも私のことを心にかけてとりなしをしていてくださる、そのイエス様の愛によって私の心が堅固にされ、しゃんとさせられるのは、本当にすばらしいことです。思わず喜びと感謝があふれ、讃美が湧いてくるではありませんか。心がしゃんとしないと讃美が湧いてまいりません。心がなえていたのでは讃美は湧いてこない。恵みによって心がしゃんとしているからこそ、その心から讃美が湧いてくるのです。
15節へ飛びます。「ですから、私たちはキリストを通して、讃美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。」 これは勧めの言葉ですが、勧められずとも、恵みで心がしゃんとすれば、自ずから讃美が湧き上がってきます。恵み深い神をほめたたえずはおられなくなるのです。
 ここで「讃美のいけにえ」と言われていますが、「讃美」と「いけにえ」を結びつけるのはどうか、と思われる方がいるかもしれません。それにしても「讃美のいけにえ」と言うと、「いけにえ」もずいぶん美化される感じがします。十字架もネックレスになると、あんまり悲惨さを感じさせないでしょう。本当の十字架は悲惨で残酷なものです。「いけにえ」も同じではないでしょうか。「いけにえ」は生きているもの(動物)が殺されてささげられるのです。ですから、「讃美のいけにえ」と言うとき、《私たちの讃美は私たちの「いのち」を神にささげるものなのだ》ということを教えられているのです。そのことをここで学び取るこが大事だと思います。
 私たちのいのちを神にささげると言っても、それは自分が自分をささげるのではなくて、「キリストを通して」ささげるのです。「キリストを通して」ささげる私のいのちは、キリストの血によって聖別された「新しいいのち」にほかなりません。その「新しいいのち」を神にささげるのが、私たちの「讃美のいけにえ」なのです。《「キリストを通して」私のいのちを神にささげていくのだ》という思いをもって、私たちも礼拝の時の讃美をささげるようにしましょう。
 10節に戻ります。「私たちには一つの祭壇があります。幕屋で仕える者たちには、この祭壇から食べる権利がありません。」 私たちの教会にも祭壇があります。その祭壇の上に、本日はペンテコステ礼拝で聖餐式が行われるため、イエス・キリストのからだを表すパンと流された血を示すぶどう汁の入った杯が置いてあります。旧約時代は、幕屋で仕えている者たちも、祭壇から食べる権利がなかった。聖所の中には動物のいけにえの血しか持って行くことができず、いけにえの肉は宿営の外で焼き尽くされてしまった(11節)。それで肉を食べることができなかった。しかし私たちは、この礼拝において、聖餐のパンをぶどう汁の杯と共にいただくことができます。それはすばらしい特権です。
 その聖餐のパンにおいて示されているお方は、きのうもきょうも同じお方、いついつまでも同じお方です。そのキリストのからだを表すパンを食べることができる。そのことによって、キリストが永遠の大祭司としていつも私と共にいてくださることを、私のからだで知ることができる。これは本当にすばらしいことです。この恵みで私の心はしゃんとし、讃美が湧き上がってまいります。
 12節には、「イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました」とあります。イエス様が十字架につけられたゴルゴタの丘は、エルサレムの門の外にありました。「門の外」にいる人々は罪人を表しているので、キリストは門の外で罪人のためにご自身のいのちをささげ、血を流してくださった、という意味もあります。その血によって罪人を聖なるものとしてくださっています。聖餐式は、そのことを実感できる時であり、讃美のいけにえをささげさせてくれるのです。
 続く13節の勧めに目を留めましょう。「ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。」 
キリスト者はみな、キリストの辱めを身に負っているのではないでしょうか。キリスト者である以上、私もパウロのように、「私は福音を恥とは思いません」(ローマ1:16)、「私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません」(ガラテヤ6:14)と言うことができる、《そのように確信をもって言える自分でありたい》と、いつも思っています。それにもかかわらず、《自分がキリスト者であることを大きな声で言いたくない》という気持ちにさせられことがあるのですね。皆さんは、どうでしょうか。
そんなジレンマを感じているとき、《キリストも辱めを受けられたのだ、その辱めを私も負っているのだ》と分かると、ずいぶん慰められ、とても励まされます。私たちが生きている現実の世界である「宿営」の中で、キリスト者であるがゆえに受ける辱めがあるのは当然である、と思わされるのです。それだから、「宿営の外に出て、[神の]みもとに行こうではありませんか」と勧められているのではないでしょうか。
これは《アシュラムで言う毎朝の「レビの時」「静聴の時」「密室の時」を大切にしなさい》という勧めにほかなりません。この勧めに従って、日ごとのアシュラムで神との交わりを深め、イエス・キリストとの交わりを親密にして行くとき、私たちは現実の生活の場である「宿営」の中において、キリストの辱めを[堂々と]身に負っていくことができるようにされるのです。
 14節「私たちは、この地上に永遠の都を持っているのではなく、むしろ後に来ようとしている都を求めているのです」については、先にアブラハムの信仰において学びました。アブラハムは「さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていた」(11:16)。私たちキリスト者も同じで、私たちが本当にあこがれているものは地上にはありません。天にある永遠の都を、私たちはあこがれているのです。朝ごとのアシュラムにおいて、聖霊がいつもそのことを私たちに教え、そうすることができるように私を導いていてくださるのではありませんか。

 そのような永遠の大祭司であるキリストとの日ごとの親密な交わりが、この世においてキリストの辱めを身に負いつつも、讃美のいけにえを絶えずささげさせてくれる原動力となるのです。     (村瀬俊夫 2006.6.4)

《ヘブル書連続説教 28》 兄弟愛にとどまる生活 ヘブル13:1~6

 ヘブル書連続説教も最後の章に入ります。もう終わりが近づきました。ヘブル書の主要テーマである大祭司キリスト論が、5章1節から10章18節までに述べられています。それに基づく大事な勧めの言葉が、その前後の4章16節から18節までと、10章19節から25節までとに記されています。その後にも奨励が続くのですが、大祭司キリスト論の余韻の中で行われている勧めであり、それが12章で一応終わっております。
そうしますと、13章は付け足しのような感じがしなくもありません。本書の著者は、前に言いましたように、パウロやヨハネの福音書の著者と並ぶ神学者です。そういう優れた神学者の片鱗が、これまで学んできた12章までには、随所に輝き出ていました。読み始めたばかり方には、少し難しい書だと思われるかもしれません。しかし、何度も読んでいる方には、ヘブル書の著者は本当にすばらしい神学者だなあ、という感想を強く抱かれるようになるでしょう。しかし、13章にはそういう著者の偉大な神学者らしいひらめきが感じられない、ということが言えるのかもしれません。
 見方によってはそうではなく、8節やその後に出てくる言葉も大祭司キリスト論の余韻の中で書かれていると言えるでしょう。しかし、今回学ぶ箇所に関しては、その勧めの内容が平凡ではないか、という感じがします。ごく当たり前のことを述べているに過ぎないのではないか。ここに勧められていること、《兄弟愛を実践せよ。困っている人々のことを思いやり、助けてあげよ。結婚生活を大事にせよ。金銭の奴隷にならないようにせよ》ということは、キリスト教と関係のない世界でも言われることです。
しかし、こういう当たり前のことが、どれだけ実行できているでしょうか。そのことを厳しく自らに問いかけられるとき、このような勧めは決して平凡なものではなく、意味のある勧めであるんだ、ということを改めて思います。こういう当たり前の日常生活がきちんと行われていくためにも、これまで述べてきた大祭司キリスト論が必要である、というように著者は考えていたのではないか。そのように私は思わされているのです。
 最初に兄弟愛のことが言われています。「兄弟愛をいつも持っていなさい」という新改訳の文章は、だいぶ意訳されています。ギリシア語原文は「兄弟愛」が主語ですから、原文に即して、「兄弟愛がいつもとどまるようにしなさい」と訳せばよいのです。残念なことに、兄弟愛がなかなかとどまらない、という現実があります。それで「兄弟愛がいつもとどまるようにしなさい」と勧められているわけです。
 兄弟愛については、パウロもペテロもヨハネも述べています。パウロは、テサロニケ人への手紙第一の4章9-10節に「兄弟愛については、何も書き送る必要がありません。あなたがたこそ、互いに愛し合うことを神から教えられた人たちだからです。実にマケドニヤ全土のすべての兄弟たちに対してあなたがたはそれを実行しています。しかし、兄弟たち。あなたがたにお勧めします。どうか、さらにますますそうであって(兄弟愛にとどまって)ほしい」と書いています。
 神から教えられた福音の教えは、この兄弟愛に凝縮されています。それを裏づけているのが、「わたしがあなたがたに与える新しい戒めは、わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたが互いに愛し合うことである」と言われているイエス様ご自身の御言葉です(ヨハネ13:34)。先ほど「主われを愛す」の歌詞で親しまれている讃美歌(『讃美歌21』484番)を口語訳の歌詞で歌いました。「聖書は言う、イェスさまは愛されます、このわたしを」と。それはイエス様に愛されているこの私が、そして私たちが、互いに愛し合うようになるためなのです。
 5節の後半に、「主ご自身がこう言われます」と言って、旧約聖書の言葉が引用されています。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」と。これは申命記31章6節、それからヨシュア記1章5節にある言葉です。エジプトを出たイスラエルの民が、40年の荒野放浪の後、天に召された指導者モーセの後継者であるヨシュアに率いられて約束の地に入ろうとするとき、神がヨシュアに語られている言葉であります。ヨシュア記1章5節の後半を見てください。「わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない」と約束して、神はヨシュアを励ましておられるのです。
イエス様は十字架につけられる前の夜、ヨハネの福音書では、とても大事なことをお話しになっています。そのお話が始まるのが14章からですが、16節から18節にかけてこう言われます。「わたしは父にお願いします。そうすれば、父はもうひとりの助け主をあなたがたにお与えになります。……その方は真理の御霊です。……あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻ってくるのです。」
 弟子たちは地上に残されますが、イエス様は彼らを孤児にはしない、そして「わたしはあなたがたのところに戻ってくる」とまで言われています。この「戻ってくる」という約束は、聖霊降臨によって実現しているのです。今イエス様は、聖霊によって私たちの中に住み、私たちと共におられます。その方が大祭司キリストでもいらっしゃいます。いつも私のためにとりなしをしていてくださる。それはイエス様の私に対する大きな愛であり、イエス様を遣わしてくださった父なる神の測り知れない愛でもあるのです。
 そういうイエス様の愛、神様の愛を深く深く覚えさせられていくときに、私たちが兄弟愛を実践することはそんなに難しいことでなくなるばかりか、自ずから兄弟愛を実践するようにさせられていくのではないでしょうか。そのように思うのですが、思うだけでなく、そのことを体験させられていきたい。イエス様が共にいてくださる、その愛を私が深く深く感じている。だから私も兄弟を愛せずにはいられない。そういう思いが自ずから行動に現れるようになりたいのです。
 ペテロの手紙第一の1章22節を見てください。「あなたがたは、真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、互いに心から熱く愛し合いなさい。」 真理は福音です。福音に生かされることによって、偽りのない兄弟愛を抱くようにされた。私のためにいのちを捨ててくださり、そのいのちを私に与えてくださっているイエス様が共にいてくださる。それほどまでに私はイエス様に愛され、神様の大きな愛の中に私が包まれている。そのことを思う時に、私たちは兄弟愛を自ずから抱かされ、熱く愛し合うようにされていくのではないでしょうか。
 そしてヨハネも、その手紙第一の3章16節で、こう言います。「キリストは、私たちのために、ご自分のいのちをお捨てになりました。それによって私たちに愛がわかったのです。ですから私たちは、兄弟のために、いのちを捨てるべきです」と。このように私たちが互いに熱く愛し合う兄弟愛を実践していくべきであるし、実践することができるのだ、と教えられているのです
 ヘブル書2章で学んだことを思い出してください。大祭司は人間でなければなりません。大祭司イエス様というとき、イエス様の人間性が必然的に強調されています。大祭司キリストは、私たちと同じ血と肉を持つ人間になってくださいました。そして、私たちの兄弟と呼ばれることをも恥となさらなかった、と書いてありました。私たちは軽々しくイエス様を兄弟とはお呼びできない気持ちですが、イエス様は私たちから兄弟と呼ばれてもよい方になってくださったのです。まさに大祭司キリストは、私たちの兄弟として、私たちのためにとりなしをしてくださっています。そのようなヘブル書の教えは本当にすばらしい、と改めて思わされるのです。
 この兄弟愛は、さらに展開して2節では「旅人をもてなすことを忘れてはいけません」と言われます。今日は、家庭で旅人をもてなすことがなくなったようで、私も地方に御用で旅をしますが、牧師や信徒のお宅に泊めてもらうことが最近は絶えてありません。ビジネスホテルが多くあるせいか、そんな所に案内されるのです。
イエス様の時代は旅館など今日のように発達していなかったでしょうから、旅する人は知人や関係者の家に宿泊することが圧倒的に多かったものと思われます。ここで「旅人をもてなしなさい」と言われるとき、限定されているわけではありませんが、第一義的にはキリスト者の旅人のことが考えられているでしょう。キリスト者の旅人をもてなすことが、キリスト者にとって兄弟愛の実践の大切な課題の一つであったからです。
 そのことは、事情や状況が変わっても、忘れてはならないことだと思います。2節後半に「こうして、ある人々は御使いたちを、それとは知らずにもてなしました」と書いてあります。これはアブラハムの故事によっています。創世記18章を開いてみてください。「主はマムレの樫の木のそばで、アブラハムに現れた。彼は日の暑いころ、天幕の入り口にすわっていた。彼が目を上げて見ると、三人の人が彼に向かって立っていた。彼は、見るなり、彼らを迎えるために天幕の入口から走って行き、地にひれ伏した。そして言った。『ご主人。お気に召すなら、どうか、あなたのしもべのところを素通りなさらないで[お泊り]ください』」(1-3節)。このようにしてお泊めした三人の人が、実は御使いたちであったのです。
 ここには、旅人をもてなすときは、イエス様を迎えるようにもてなしなさい、という意図が込められているのではないかと思います。そんなに気安く旅人をもてなすことができたわけではありません。騙されたり、被害にあったりすることもあったでしょう。それでも、御使いを(そしてイエス様を)迎える思いで、旅人を迎えるのだという心構えは、しっかり学びたいものです。
 兄弟愛は、旅人のように目に見える人に対してだけではなく、目に見えない人たちにも及ぼされていく。それが次に言われているのです。「牢(刑務所)につながれている人々を、自分も牢(刑務所)にいる気持ちで思いやり、また、自分も肉体を持っているのですから、苦しめられている人々を思いやりなさい」(3節)。「苦しめられている人々」は、飢餓や病気、貧困や戦争による惨禍等で、世界中にたくさんいます。そういう人たちにも及んでいく兄弟愛であることが、ここでは教えられているのです。
 これをどのように実践していくかは、一概に言えない難しい課題ですが、私たちの家庭のことを少し話します。1994年から現在まで12年、里親をさせていただいています。最初の8年の里子はフィリピンの娘さんで(小学5年から高校卒業まで)、その後の4年間の里子はカンボジアの少女で現在小学4年生です。毎月わずかの送金ですが、それで彼女たちは学校に通えるのです。その他、国境なき医師団やグリーンピース、ユニセフ等に自動的に銀行口座から引き落とされるようにして支援させていただています。
 刑務所にいる人たちの中には、罪がないのに罪を負わされて苦しんでいる方も少なくないことを覚えましょう。その人たちのことを思いやることは、大事なことだと思います。カール・バルトという20世紀最大の神学者と呼ばれた方は、優れた説教者でもありましたが、大学教授を引退した晩年、教会に招かれても断り、刑務所でしか説教しませんでした。深く教えられることですね。
         ◇
 それから結婚のことが4節で言われています。夫婦はある意味で一番近い兄弟姉妹ですから、結婚生活は兄弟愛の最も具体的な実践の場です。夫婦の間で愛し合うことができなかったら、兄弟愛の実践はどうなるのでしょう。だから勧められているのです。「結婚[生活]がすべての人に尊ばれるようにしなさい。寝床を汚してはいけません。なぜなら、神は不品行な者と姦淫を行う者とをさばかれるからです」と。
 結婚生活が大切にされるためには、節操と節制が必要になります。不品行や姦淫に陥らないためにも、節操と節制が必要です。こういうことも、イエス様の愛を豊かに受けることがなければ、絵に描いた餅で、実践することなどできません。私は最近、割合よく節制していると思っていますが、そうすることができるのも、イエス様の愛を日々新たに、深く思わされているからなのです。結婚生活を祝福されたものにしていくためにも、夫婦お互いが、イエス様の愛をしっかり受けていかなければなりません。
 そして5節に、「金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい」と勧められています。テモテへの手紙第一の6章9-10節を見てください。「金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。」 性や金銭への欲望から解放されるためにも、やはりイエス・キリストの愛を豊かに身に受けていくことが決め手になるのです。
 お金儲けが絶対に悪いわけではありません。ただ溜め込めばいい、という考えではいけない。お金が有効に使われるようにし、多く与えられたなら、多くよいことに献げていく。そういう気持ちが大事であり、その意味で献金はとても意味のあることです。献金が喜んでできることは、金銭欲に自分が縛られていないことの証しになります。
 このような勧めを実行していくことは、言うほどに易くはない。そのことがよく分かっていたヘブル書の著者は、二つの旧約聖書の言葉を引用しているのです。その一つは先に取り上げましたから、第二に引用している詩篇118篇6節の言葉を見ることにします。それを引用する前に、著者が「そこで、私たちは確信に満ちてこう言います」(6節)と言っていることに注目しましょう。著者は確信して、この言葉を引用しているのです。

 「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」 この言葉に対応するものが、ローマ人への手紙8章31、34節であると思います。「神が[現に]私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。……死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」 ここに大祭司キリスト論との接点がありますね。このイエス様がいつも共にいてくださる「私の助け手です。」 ですから、私たちも確信に満ちて言うことができます。「私は恐れません。……」と。   (村瀬俊夫 2006.5.14)

《ヘブル書連続説教 27》 揺り動かされない御國を受ける

 本日はキリスト教の暦では受難週に入る日曜日、棕櫚の日曜日(パーム・サンデー)と呼ばれている日です。それに合うような聖書箇所を選んで説教するのがよいのでしょうが、私はヘブル書の連続説教をいたします。
  この箇所は、ある意味では、ヘブル書のまとめのような所でもあるのです。よくよくこの文書の構造を見てまいりますと、そういうことが分かります。10章19節から「こういうわけですから、兄弟たち」と呼びかけて、すばらしい奨励が始まりました。「こういうわけですから」とあるのは、それまでに大事なことが論じられてきたのを受けています。この文書の主題である《大祭司キリスト論》が見事に論じ上げられたことを受けて、「……こうしようではありませんか」という奨励に進んでいくわけです。
 特に10章19-25節には、まさに奨励のエッセンスが示されています。しかし、奨励はそれで終わるのではなく、ずっと続いてまいりまして12章にまで至るわけなのです。すると12章18節以下は、10章19節から始まる奨励のまさに結びに当たるような箇所であります。「そのようなわけで、私たちは、心に血の注ぎを受けて邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われたのですから、全き信仰をもって、真心から神に近づこうではありませんか」(10:22)と勧められているように、私たちは神に近づくことができるのです。これこそ、まさに喜ばしいおとずれであります。
 この「神に近づこうではありませんか」という言葉が、12章18節から24節までに、新改訳では3回出てきます。19節に「ラッパの響き、ことばのとどろきに近づいているのではありません」と、否定の形で出てまいります。次に出てくるのは、22節で「無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです。」 この「近づいているのです」は、ギリシア語原文では24節までかかっています。新改訳は22節で文章を切っているため、24節にも「近づいています」を補足しているのです。ギリシア語原文では「近づいている」という言葉は22節にあるだけです。それからギリシア語原文では、新改訳19節の「近づいているのではありません」は、18節の初めに出てきます。日本文では動詞が後になるため、こんなことが起こるのです。それでギリシア語原文では、「近づいている」という言葉が出てくるのは18節と22節の2回だけということになります。
 この「近づこうではないか」というのは、神に近づくことですから、神を礼拝することを意味します。神様を礼拝するために近づいていくのです。そういう視点でここに書かれている場面を見ますと、一つは旧約聖書におけるシナイ山での律法の授与にかかわる礼拝の場面(出エジプト19章)であり、もう一つは私たち福音の恵みにあずかっている者たちの礼拝であります。簡単に言えば、旧約の礼拝と新約の礼拝とで、この両者が対比されているのです。
シナイ山で神がイスラエルの民を代表するモーセに律法を授けている旧約の礼拝の場面は、非常に厳粛であるというよりも、むしろ恐ろしいような情景です。手でさわれる山ですが、その山を登っていくと、「燃える火[火山だったのでしょうか]、黒雲、暗闇、あらし、ラッパの響き、ことばのとどろき[これは神様のことばなのでしょうか]」に見舞われます。本当に恐ろしいですね。でも、「あなたがたは(もちろん私たちも)、そのように近づくのではありません」言われています。しかし旧約のモーセは、そのような恐ろしい情景の中で神に近づかざるをえ得なかった。「このとどろきは、これを聞いた者たちが、それ以上一言も加えてもらいたくないと願ったものです」とありますが、そんなとどろきのような説教を礼拝で聞かされたら、皆さんは二度と礼拝に出たくなくなるでしょう。
20節に「彼らは、『たとい、獣でも、山に触れるものは石で打ち殺されなければならない』というその命令に耐えることができなかった」とあるように、本当に重苦しい雰囲気でした。「その光景があまり恐ろしかったので、モーセは、『私は恐れて、震える』と言いました」(21節)。これは出エジプト記19章に書いてはなく、モーセがそう言ったのは申命記の他の場面においてなのです。しかし、この場面でも、モーセは「私は恐れて、震える」という心境であったに違いありません。それが旧約の礼拝の姿なのです。
しかし、私たちはそんなふうに近づいていくのではありません。それが22節以下に書いてあります。「しかし、あなたがたは、シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム、無数の御使いたちの大祝会に近づいているのです」(22節)。ここに「シオンの山、生ける神の都、天にあるエルサレム」と三つの言葉が並んでいますが、この三つは同じことを言っていると理解してよいと思います。シオンの山にエルサレム神殿がありました。その神殿は前六世紀に破壊され、エルサレムの都も陥落しました。まさに廃墟と化したのです。そういう地上のシオンの山が、ここで言われているのではありません。天にあるシオンの山、天にあるエルサレム、それこそが生ける神の都なのです。
そこに神が臨在すると旧約の民が信じていたエルサレム神殿まで焼かれてしまう。まさに彼らの精神的支柱を打ち倒されたような出来事だったのです。それでもイスラエル民族はくじけることなく生き残ってきました。どうしてか。彼らが地上にあるものを超えたもの見たからだと思います。本当に目指すべきものは、《地上のエルサレム神殿ではなく、天にあるエルサレム神殿である》と語ってくれていた人が、旧約の時代にもいたのです。私たちには、そのことがもっとよく分かります。私たちが近づいていく礼拝の場は、この地上にあるものを超えている、まさに天にあるエルサレム・シオンの山、そこにある霊的な神殿あり、そこでは「無数の御使いたちの大祝会」が開かれているのです。
 この御使いたちについては、著者が1章14節で述べていることを心に留めなければなりません。「御使いはみな、仕える霊であって、救いの相続者となる人々(私たちキリスト者)に仕えるため遣わされているのではありませんか。」 普通は、御使い(天使)のほうが私たちより上位にあると考えます。ヘブル書の著者は、それを逆転させて、御使いたちを私たちキリスト者に仕える者と位置づけています。その「御使いたちの大祝会」が開かれている場所に私たちは近づいて、神を礼拝しているのです。
23節には、「天に登録されている長子たちの教会、万民の審判者である神、全うされた義人たちの霊」とあります。「天に登録されている長子たちの教会」という言葉に注目しましょう。天には私たちの名を記した文書があります。伝道に遣わされて成果を挙げ、それを自慢げに報告する弟子たちに、イエス様は「[そんなことを]喜んではなりません。あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい」と言われました(ルカ10:20)。私たちの名は天に登録されているのです。
「長子たち」は、私たちに関係する言葉であります。この「長子」は神の財産を相続する者を意味します。前回の箇所の12章16-17節に、イサクの長子エサウが長子の権利を弟のヤコブに売ってしまったため、父の財産を相続する権利を失ってしまった故事が紹介され、「エサウのようになってはいけませんよ」と警告されています。そのことを考えると、この「長子」は《神の霊的な祝福を受ける資格を有する者》を指していることが分かります。すべてのキリスト者は[実際に長子であると否とにかかわらず]、霊的には「長子」であるのです。要するに、キリスト者はみんな、霊的には長男であり、長女であります。そして、神の霊的な祝福をしっかりと受け継ぎ、相続していくことができるのです。
そういう者たちの教会、それが天にある教会であり、その教会に私たちは近づいているのです。蓮沼キリスト教会も、《毎主日の礼拝において、そういう教会の姿を現させていただいているのだ》ということを、しっかり覚えさせていただきましょう。そうすると、次に出てくる「審判者である神」の「審判者」も、怖(こわ)い意味にとらないで、むしろ善い意味にとることができるでしょう。裁判官は、いつも悪いことを言うのではありません。善いこともたくさん言ってくれます。私たちにとっては、《いつも福音してくださる審判者である神》と理解することができます。この神の福音によって、私たちは「全うされた義人」とされているのです。
「さらに」と言って24節に続きますが、「新しい契約の仲介者イエス」がおられます。これが大事な決め手となるのです。私たちが近づく礼拝の場には、《新しい契約の仲介者・大祭司であるキリスト》がおいでになります。そのキリストの血が私たちに注ぎかけられています。それは「アベルの血よりもすぐれたことを語る」血である。アベルのことは11章の初めのほうで学びましたが、兄カインに殺されたアベルの血が叫んでいるのは、復讐を求めるような叫びでしょうね。しかし、キリストが流された血は、私たちの罪を無条件に、また限りなく赦してくださる血であります。その血の注ぎを受けているので、10章22節に言われているように、私たちは「全き信仰をもって真心から神に近づく」ことができるのです。
25節に進みます。「語っておられる方を拒まないように注意しなさい」という勧告の「語っておられる方」とは、《新しい契約の仲介者・永遠の大祭司キリスト》だと思います。いつも福音し、福音を告げていてくださる方を拒まないように、この方にいつも福音していただくようにしなさい。何年か前に、私の監修と訳で『恵みに生きる訓練』が出版されました(2002年)。その中に「日々、自分自身に福音を告げよ」という章があります。福音は未信者に対してだけでなく、救われたキリスト者にも必要なものなのです。キリスト者も日々、自分自身に福音を告げていただいて、その福音に生かされていく。それこそがキリスト者の歩みであります。
旧約時代でも神の警告を拒んだなら厳しい裁きを受けたのですから、《ましてこの福音を拒むなら、その結果はもっと恐ろしいものになりますよ》と言われているのが25節後半ですが、これと同じ警告はすでに2章1-4節にも語られていました。ですから、いつもいつも新しい思いで福音を聴き、その恵みにあずかるようにして、福音に生かされる歩みをしてまいりましょう。
26節以下にまいります。「あのときは、その声が天を揺り動かしましたが、このたびは約束をもって、こう言われます。『わたしは、もう一度、地だけでなく、天も揺り動かす。』 この『もう一度』という言葉は、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか」(26-28節)。この終わりの28節前半の言葉から前のほうを見ていくとよろしいと思います。
神が私たちにイエス・キリストにあって与えてくださった御国は、もう決して揺り動かされることないものだ、ということをしっかり覚えたい。そのために神は、一度、地のみならず天も揺り動かしてくださったのです。いつ、そうしてくださったのか。これから先のことだ、という考えもあります。しかし、私たちは今、恵みの現実として揺り動かされない御国を受けているのです。だったら、すでに《地も天も、一度(ひとたび)揺り動かされたのだ。だから、もう揺り動かされないものがここにあるのだ》と教えられています。いつ地と天が揺り動かされたのか、私にはよく分かりませんが、《イエス様がよみがえられたとき、そして天に昇られたとき、そのことが起こった》と、私は信じております。昇天されたイエス様が、神の右に着座された時には、《揺り動かれない御国がそこに厳として存在していた》のではないでしょうか。
インドでアシュラム運動をキリスト教に取り入れ、それを日本にも伝えてくださったスタンレー・ジョーンズ博士の晩年の重要な著作に、『震われない御国と変わらない人格』(邦訳、1998年)があります。その中で彼は、《キリスト者は震われない(揺り動かされない)御国を受けていることをしっかり覚えていなければならない。しかし、世々の教会はそのことを軽んじてきた。使徒信条にもニケア信条にも神の国のことが書いてないのは残念だ》と言っておられるのです。
「神は、私たちを暗闇の支配(国)から救い出して、神の愛の御子のご支配(御国)に移してくださいました」(コロサイ1:13)。そのように神の愛の御国に移された者として、私たちは礼拝をささげています。そういう私たちは揺り動かされない御国を受けているのです。「私たちは揺り動かされることのない御国を受けている(まさに現在進行形である)のですから、感謝しようではありませんか。」どうか、このことを深く心に刻んで黙想し、その恵みの豊かさを味わってください。
 「こうして私たちは、慎みと恐れとをもって、神に喜ばれるように奉仕することができるのです」(28節後半)。この「慎みと恐れ」は、週報に私訳を載せたように「敬虔と畏敬の念」とするほうがよいと思います。揺り動かされることのない御国を受けている恵みを深く味わうとき、感謝と喜びがあふれる中から、敬虔と畏敬の念が湧き上がってきて、神様に喜ばれるように奉仕をし、礼拝をすることができるようにされるのです。
最後に「私たちの神は焼き尽くす火です」(29節)とある一句は、旧約との関連で恐ろしいイメージを印象づけられるかもしれません。しかし、《罪を焼く尽くす火》であると考えるなら、ありがたいことに思えますね。神の火は私たちの罪を焼き尽くし、聖(きよ)めてくれるのです。それよりも、この火は神様の愛の火、《福音の愛の火》であると考えていただけたら、もっとよいと思います。
先週の月曜日から水曜日まで(4月3-5日)、教職アシュラムで上石神井の「黙想の家」で過ごしました。その「黙想の家」には瞑想の間があって、そこで深夜祈祷をささげることができるのですが、その床の間に立派な聖句の[横長の]額があります。「我は地上に火を投ぜんとて来れり、其(そ)が燃ゆるの他(ほか)何をか望まん」と書いてある字の配置が面白い。「われは地上に」と下に小さく書いて、行を改めて「火」が上に大きく書いてあります。「其が」は小さく下に、それから「燃ゆる」の「燃」が大きく上に書いてあります。

この「火」は、神の愛の火にほかなりません。福音の愛の火が燃えることのほか、神様は何も望んでおられません。まさに神は、福音の愛を完全燃焼させてくださる方です。そこで明言することができます。《焼き尽くす火とは、福音愛の完全燃焼である》と。とすれば、これは奨励のすばらしい結びの言葉であるのです。       (村瀬俊夫 2006.4.9)

《ヘブル書連続説教 26》 聖められることを追い求めよ ヘブル 12:4~17

 この文書の受け手、あるいは読み手、もっと正確には、聴き手と言ったほうがよいかもしれません。当時は、多くの場合、文書というものは人々の前で朗々と読まれるものでした。それを人々は耳を澄まして聴いたのです。前にも述べたことですが、この文書の聴き手である人々は、非常に困難な状況に置かれていました。それで「私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか」(1節)と勧められても、なかなか忍耐をもって走り続けることができない状態に置かれていたのです。
  心の元気を失って疲れ果てている聴き手の状態を、本書の著者はよく知っておりました。そのような聴き手の人たちに対して、著者は彼らの目をイエス様に向けさせようとしています。そして「罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい」(3節)と語りかけ、4節へと続くのです。この4節から新しい段落に入ると見ることができますが、そのように新共同訳は段落を設けています。しかし、新改訳では段落がありません。3節から4節へとつながる流れがよくわかって、これはこれでよいと思います。
 イエス様を見つめなさい。そのイエス様は、大祭司であるイエス様です。ただ一度、永遠の贖いを十字架で成し遂げ、復活させられ、天に挙げられている大祭司として、イエス様はいつも、私たちのためにとりなしをしてくださっています。さらに、死と罪に対する勝利者であるイエス様です。死からよみがえられたことは、イエス様が死に対して勝利し、同時に、罪を徹底的に処分してくださったこと意味します。そのイエス様によって、私たちの罪が無条件に赦される、という恵みが与えられるようになったのです。
 そのような大祭司であり勝利者であるイエス様を、いつもしっかり見つめていなさいよ、というのが前回の学びの中心でした。そのようにするとき、元気を失っている者も、立ち上がることができるのです。そこで少し飛びますが、12-13節を見てください。ここは教理的に重要な箇所であるとは言えませんが、本書が疲れ果てている者たちに勇気を与え、立ち上がる力を与えようとしている目的から見れば、この12-13節は大切な箇所である、と言ってよいでしょう。
 「ですから、弱った手と衰えたひざとを、まっすぐにしなさい。また、あなたがたの足のためには、まっすぐな道を作りなさい。なえた足が関節をはずさないため、いやむしろ、いやされるためです。」ここは、週報の説教要旨に書いたように、「弱った両手と衰えた両膝をまっすぐにしなさい。不自由な足が脱臼せず、むしろ癒されるように、自分の足のためにまっすぐな道を造りなさい」と訳したいと思います。それには、「大祭司であり勝利者であるイエス様が、そうする力も与えてくださいますよ」という言葉が添えられています。そういう慰めに満ちた言葉が、この12-13節で語られているのです。
 そのことを覚えながら、4節に戻って考えてみましょう。いきなり4節を読むと、どのように感じるでしょうか。「あなたがたはまだ、罪と戦って、血を流すまで抵抗したことがありません。」 だから「血を流すまで抵抗しなさい」と言われているのではないか、と思うでしょう。そう思うようになると、そんなこと自分にできるだろうか、と非常に不安になります。私も、長いこと、「ここまで言わなくてもよいのに」という思いで、この言葉に引っかかっていました。それから別の解釈では、これは殉教の勧めである、と言われていることを知っていました。
 とにかく、4節のこの言葉だけを見ていると、非常に厳しい言葉として私たちの心に響いてまいります。でも、3節の言葉や、12-13節の慰めに満ちた言葉を覚えながら、4節を読んで見ましょう。3節で「罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい」と言われています。イエス様は血を流して、十字架のはずかしめと死を忍んでくださいました。血を流すまで抵抗してくださいました。そして永遠の贖いを成し遂げ、私たちが神の御前に近づける新しい生ける道を開いてくださったのが、イエス様です。
すでに学んだ10章19-20節に、こう書いてあります。「こういうわけですから、兄弟たち。私たちは、イエスの[十字架で流された]血によって、大胆にまことの聖所に入ることができるのです。イエスはご自分の肉体という垂れ幕(十字架の死と復活の出来事)を通して、私たちのためにこの新しい生ける道を設けてくださったのです。」 そういうすばらしいイエス様ですから、4節は、私たちに「罪と戦って、血を流すまで抵抗せよ」と命じている言葉ではありません。「あなたがたは罪と戦って、血を流すまで抵抗したことはないでしょう。それでよろしいのだ。イエス様が血を流すまで抵抗してくださったのだから。そのイエス様を見つめていなさいよ」と、呼びかけてくれている言葉なのです。
 さて、次の5節以下にまいります。「あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています[忘れてはいけませんよ]」という導入で、箴言3章11-12節が5節後半から6節にかけて引用されています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。主に責められて弱り果ててはならない。主は愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」 ここに「むちを加える」という言葉があるので、とても気になります。 
新改訳は、「むちを加える」ことに合わせて、「主の懲らしめ」と訳しているのでしょう。それが的外れな訳であるとは思いません。この「懲らしめ」と訳したギリシア語のパイデイアは、子どもを意味するパイスから派生しています。パイデイアは名詞で、その動詞パイデウオーは親が子を「訓育する、躾(しつ)ける」という意味です。それで私は、パイデイアの一番よい訳は「躾(しつけ)」であると考えます。岩波訳聖書は、この「躾」という訳語を用いていますが、それが一番ぴったりするように思います。「わが子よ。主の躾を軽んじてはならない。 ……主は愛する者を躾けられる」と読むのです。 
躾は懲らしめとは違います。ギリシア語辞典を見ると、パイデイアの意味として第一に挙げられているのが躾です。しかし、続いて訓育・訓導、そして懲罰・懲らしめという意味も出てまいります。そのように、パイデイアは幅広い意味で使われていたようで、懲らしめという意味もあるのです。それで「懲らしめ」という訳も可能ですが、ここでは適当でないと思います。新共同訳は「鍛錬」という訳語を用いていますが、これも適当とは思われません。ここでは「躾」という訳語が最適であると、私自身は考えております。
子どもをむち打つことが躾の代表のように考えられていますが、そうではありません。イエス様は、そのような考えに賛成しておられません。その証拠に、子どもは抱いて祝福してあげなさい、と身をもって教えておられるのです(マルコ10:16参照)。ですから、ここは7節から11節までも、すべて「懲らしめ」ではなく「躾」と訳すのがよいでしょう。躾の基本は行儀作法を身に着けさせることです。そのように躾けられることは、子どもにとって喜ばしいものではありません。しかし、きちんと[愛のうちに]躾けられるなら、大人になって非常に役立ちます。躾けられていないために、大きくなってから、いろいろ問題を起こすことにもなるわけです。
むち打たれて育った子どもは、大人になると、自分の子どもを必ずむち打つようになります。そうしないと精神衛生的にバランスがとれないからでしょう。ですから、愛情をもって躾することが大事です。神はキリストにあって、これでもかこれでもかと豊かに愛を注ぐようにして、私たちをキリスト者らしく躾してくださっています。そういう躾は面倒くさいと思うことがあるかもしれません。でも、そのような躾が後になって、すばらしい平和の実を結ばせてくれるのです。
11節の終わりに、「これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」とあります。この表現は少し意訳してあります。直訳すれば、「義の平和(平安)の実」です。義は神との正しい関係を意味し、それは《私は神に愛され、また神を愛している》という愛の関係にほかなりません。そういう《愛の関係である義に基づく平和の実》が結ばれるようになります。そのため「霊の父」である神は、神の子とされた私たちを愛のうちに躾してくださっているのです。教会は、そういう霊的な躾を行う場所でもある、と言ってよいでしょう。その躾に一番役立つのは、福音であります。教会の説教壇からは、いつも福音が語られていなければなりません。
「肉の父」は、その子どもたちに躾をしますが、10節に書いてあるように、「自分が良いと思うままに」そうします。しかし「霊の父」である神は、もっと大切な目的のために、すなわち「私たちをご自分の聖(きよ)さにあずからせようとして」霊的な躾をし、霊的に導いてくださいます。その結果、私たちは《義に基づく平和の実》を結ぶようにされるのです。この目的のために神が私たちを「懲らしめる」という新改訳の表現は、あまりにも不釣合い[従って不適切]ではありませんか。
以上のことを受けて、14節の勧めに来るのです。「すべての人との平和を追い求め、また、聖められることを追い求めなさい。聖くなければ、だれも主を見ることができません。」 この14節は、私の納得のいく訳文を週報に掲げておきました。「すべての人との平和を、また聖別された生活を追い求めなさい。聖別された生活を離れては、だれも主を見ることがないでしょう。」 
ここで「聖別された生活」と訳したギリシア語は、「聖なること」あるいは「聖化」と訳してよい言葉です。それを私は少しばかり意訳して、「聖別された生活を追い求めなさい」としました。神が私たちを躾してくださるのは、ご自分の聖(きよ)さに私たちをあずからせるためで、それは私たちが聖別された生活ができるようになるためなのです。
「聖められることを追い求めなさい」という訳文も、悪くはありません。神学用語としてサンクティフィケーションという英語の言葉があり、それが日本語では「聖化」と呼ばれています。この「聖化」については、二つの意味合いがあります。そのことを皆様にも、よく理解していただきたいと思います。少々教理的なことに立ち入りますが、よく聴いて、正しく理解してください。
一つは、義認と直結した聖化であります。私たちが信仰によって義と認められたとき、同時に、私たちは聖なるものとされているのです。これが聖化に関する第一の教えでありますが、それに関する証明聖句を引用しておきましょう。それはコリント人への手紙第一の6章11節 です。「あなたがたの中のある人たちは以前はそのような[正しくない]者でした。しかし、主イエス・キリストの御名と私たちの神の御霊によって、あなたがたは洗われ(洗礼を受け)、聖なる者とされ(聖化され)、義と認められたのです。」「義と認められた」とある前に「聖なる者とされた(聖化された)」と書いてあります。この両者は、実は、同時に起こったことなのです。
洗礼を受ける、聖なる者とされる、そして義と認められる。これらは、実は、時間的経過を経て、段階的に起こることではありません。それらみな、同時に起こることです。そのように、義認と同時に与えられている聖化が、ここで教えられています。私たちは、洗礼を受けてキリストと結び合わされることによって、義と認められるとともに、すでに聖化(聖別)されています。義と認められたとは、無罪と認められたことであり、無罪であることが聖くされたことになるのです。
もう一つ、聖化には、信仰生活の過程で、漸進的に達成されていく面があります。先に私の監訳で出版されたジェリー・ブリッジズ著『恵みに生きる訓練』は、この意味での聖化を扱い、教えてくれている書物です。このように私たちが、すべての人との平和を追い求め、聖別(聖化)された生活を追い求めることは、決して容易ではありません。そのような生活を何が困難にしているか、カルヴァンは示唆に富んだ説明をしています。「だれでも自分自身に熱中しており、自分の習性は忍んでもらおうとし、他人の習性には合わせようとしないものである。そこで、私たちは非常な苦労をして平和を求めなければ、平和を保持して行くことはできない。」
人と平和に過ごすためには、相手の習性を受け入れて、それに自分を合わせることをしなければなりません。それがなかなか難しいのです。結婚すると、夫は自分の習性に妻を合わせたくなり、妻も自分の習性に夫を合わせたくなります。それが高じると、性格不一致ということで離婚に至るケースもあります。すべての人との平和を追い求めるためには、「われら互いに受け入れ合おう」(讃美歌21・542番)と歌ったように、互いの習性を認めて受け入れ合うことが大切なのです。
私は韓国にしばしば行かせていただきますが、日本と韓国との間には非常に深刻なことがありました。でも、私は今、韓国へ行くととても歓迎されます。韓国の人々を受け入れる気持が私の中に大きくなってきたからだと思います。それは私が努力してそうなったのではなく、イエス様の愛を深く感じ、イエス様がこの私を受け入れてくださったのだ、ということが身に滲(し)みて分かったとき、私もどんな人も受け入れるべきだ、韓国の人々も受け入れるべきだ、と自然に思えるようになりました。心が広くされていくのも、自分の努力では難しい。心が広くされるのは、イエス様の愛、ただ福音によるのです。
互いに受け入れ合って平和を追い求めることができるとき、聖別された生活を追い求めることができるようになります。「聖別された生活」とは、互いに愛し合う生活を意味しています。神が私たちをご自分の聖さ(聖性)にあずからせようとしおられる「聖性」とは、「愛」にほかならないからです。
残りの15-17節にも触れておきます。15節は14節に続いている文章であり、「よく監督して」という訳語は適切でありません。「よく注意して」と訳すべきで、次のことに「よく注意して」平和と聖別された生活を追い求めなさい、と14節を受けているのです。何を注意するのか。平和をつくることを妨げる「苦い根が芽を出して悩ましたり」しないように、よく注意しましょう。その「苦い根」である自己中心的な思いがなくなるように、絶えずイエス様の愛をいただかなければなりません。この世の俗悪な思いに押し流されないように、日々の生活の中で、大祭司であり勝利者であるイエス様を見つめ、イエス様の愛を豊かに受け続けましょう。そうすれば、私の中にある「苦い根」は取り除かれ、俗悪な思いも消え去っていくのです。

そうするとき、相手を尊重して心から受け入れることができるようになります。そして平和をつくり、聖別された生活(聖められること)を実現していくことができるようになるのです。         (村瀬俊夫 2006.3.5) 

《ヘブル書連続説教 25》 信仰の創始者・完成者であるイエス

 この箇所はよく知られているところであり、特に2節の「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」という聖句は、多くの人の心に留められていると思います。新改訳は「イエスから目を離さないでいなさい」と訳していますが、この動詞は積極的な意味ですから、「イエスに目を注いでいなさい」あるいは「イエスに目を据えていなさい」「イエスを見つめていなさい」と訳すほうがよいでしょう。
  この箇所は、実は10章の後半から始まる勧めの延長線上にあります。その勧めのクライマックスとも言えるのですが、クライマックスはすでに10章19-25節にありました。ヘブル書の著者は、大祭司キリスト論を述べ終えた後、それに基づく勧めに入るなり、すぐクライマックスとも言うべき勧めを書いてしまいました。それに続く勧めは、その余韻をずっと引っ張っているような感じです。10章36節に「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」とあり、忍耐が非常に強調されています。その実例が11章に挙げられていて、今学んでいる12章の初めの部分が、忍耐の勧めの続きなのです。内容的には、10章の終わりから12章につながり、11章が間に挿入されていることになります。
 「こういうわけで」という書き出しは、11章に述べたことを受けています。「このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから」と続きますが、「このように多くの証人たち」とは、11章に挙げられた旧約の信仰に生きた人々です。その人々が多くの証人として「雲のように私たちを取り巻き」、私たちを見守ってくれています。「ですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競争を忍耐をもって走り続けようではありませんか」と、私たちも自分の前に置かれた競争を忍耐をもっては走り続けるように勧められているのです。
 ここで「忍耐をもって走り続けようではありませんか」という発破(はっぱ)をかけるような勧めが、気にかかる人がおられると思います。私もかなり気にかかっているのです。この世は、まさに競争社会であります。その中で生きている私たちは、疲れを覚えているのです。ですから、主の日には、教会に来て憩いたい、身も心も安らぎたいと思っています。それが教会の礼拝に出席して、説教で「競争を忍耐をもって走り続けよう」と発破をかけられたら、どうなるでしょうか。うんざりさせられて、「それでも福音なんですか」と心の底で問いかけたくなるでしょう。
 イエス様は、「疲れている人は、わたしのもとに来なさい。休ませてあげます」(マタイ11:28)と言われています。それなのに「自分の前に置かれた競争を忍耐をもって走り続けなさい」と言われたら、《こんなに疲れているのに、また走り続けよといわれても無理ですよ》という気持になる、そんな人もおられるのではないかと心配するのです。
 信仰生活を競技における競争にたとえている事例が、聖書の中によく見られます。パウロがそうしている例が、コリント人への手紙第一の9章24-27節にあります。「競技場で走る人たちは、みな走っても、賞を受けるのはただ一人だ、ということを知っているでしょう。ですから、あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい」と、パウロも信仰生活を競技で走ることにたとえて、「あなたがたも、賞を受けられるように走りなさい」(24節)と勧めているのです。
 ヘブル書12章では、「走り続けよう」と言われているので、走る競技でも、短距離競争ではなく、マラソンのような競技を思い浮かべていただければよいでしょう。しかし、ここで「走り続けよう」と言い、パウロが「賞を受けるために」と言うのは、《金メダルを取らなければいけない》ということではありません。金メダルは一人しかもらえません。パウロも「賞を受けるのはただ一人だ」と言っています。それはこの世の競技のことですが、私たちの競争においては、優勝することよりも、落伍せずにゴールを目指して走り抜くことが重要なのです。たとい一時、調子を崩して脱落するようなことがあっても、競技を棄権することなく、歩いてでもゴールにたどり着くことが大切である、ということが教えられているのだと思います。
 マラソン競技を走り抜くためには、途中で何回も給水を受けなければなりません。途中で水を飲まずに42キロ余りを走り続けることはできません。マラソン競技にたとえられる私たちの信仰生活の競争においても、毎主日の礼拝に出席して十分に霊的な給水を受けるために、主の前に憩うことが必要なのです。「走り続けなさい」と言われるので、休憩してはいけないのかと思うかもしれません。しかし、休憩してはいけない、とは言われておりません。ゴールを目指して走り抜くことが大事であり、そのためには途中で給水を受け、新しい力をいただくために休むことも必要なのです。そういうことを、しっかり覚えていただきたいと思います。
 ゴールを目指して走り抜くことが大切だと言いましたが、そのために大事なのは、「信仰の創始者・完成者であるイエス」から目を離さないでいること、言い換えれば、「信仰の創始者・完成者であるイエス」にしっかりと目を注いでいることです。ゴールは何か。そのことは、ここではっきり教えられておりませんが、ゴールは「信仰の創始者・完成者であるイエス」ご自身であります。イエス様ご自身がゴールなのです。そのゴールであるイエス様をしっかり見つめていく、そのイエス様に目を注いでいく、ということが何よりも大事なことであります。
旧約の人々が信仰によって生き抜いた実例が11章に紹介されておりました。彼らの信仰は、約束されたものを待ち望んで生き抜いたことに示されています。でも、彼らは約束されたものを必ずしも十分に得たわけではありません。また、約束されたものをはっきり目で見たわけではないのに、それを見ているかのよう信じて、忍耐をもって走り抜いたわけです。それが旧約に出てくる信仰の人々の生き方でありました。
それに比べて私たちは、旧約の人々が待ち望んでいた約束のものを、すでに与えられているという立場にあります。このことは、私たちがよく覚えていなければなりません。まだ約束されたものを私たちは手にしていないのではなくて、約束されたものはすでに私たちに与えられているのです。その約束されてものとは、イエス様ご自身にほかなりません。旧約の信仰の人々が待望していた約束のものが実現している時代に、私たちは生かされているのです。
そのように約束のものが実現している時代に生かされている私たちが、さらに走ることを求められているのは、その完成を目指してということになるでしょう。すでに私たちは約束されたものを与えられています。その与えられているものの完成を目指して、なお走り抜くようにと勧められているのです。
11章27節にある聖句を、もう一度思い返しましょう。その後半の句「目に見えない方を見るようにして、忍び通したからです」は、モーセについて言われていたことです。モーセは「目に見えない方」である神様を、まるで見ているようにして、種々の困難や試練を忍び通しました。私たちにとっても、復活のイエス様は肉の目には見えません。「目に見えない方」復活の主イエス様を、まさに私たちの目で見ているようにして走り続けることが、現実にはとても大切なことになるということを、ここで教えられるのです。
キリスト者は、復活の主イエス様を信じ、そのイエス様と共に歩んでいる者であります。十字架につけられて死んだイエス様は、よみがえらされて生きておられる方です。そのイエス様を、私たちは信じています。肉の目には見えないけれども、復活の主イエス様は現実に生きておられる。肉の目には見えないけれども、復活の主イエス様は、この私と共におられる。このイエス様を霊の目で見るようにして歩んでいるのが、私たちキリスト者が今おかれている立場なのです。このことは、しっかり覚えていただきたい。
そうするためには、忍耐が必要でありますから、「忍耐をもって走り続けようではありませんか」と言われています。この「忍耐」は霊的修練によって育(はぐく)まれますから、走り続けるためには霊的修練が必要になるのです。そのような霊的修練を妨げるものとして、1節に「いっさいの重荷とまつわりつく罪」ということが言われています。私たちがイエス様に目を注ぐことを妨げるもの、共におられる復活のイエス様を霊の目で見ることを邪魔するもの、それが「いっさいの重荷とまつわりつく罪」にほかなりません。
その「いっさいの重荷とまつわりつく罪を捨てて」と言われるのですが、問題は、どうしたら捨てることができるか、ということです。自分の力で罪や重荷を捨てることができるのでしょうか。できないのです。それで、罪や重荷を捨て去るためにも、イエス様をしっかりと見つめていくことが大事になります。私たちキリスト者の霊的修練の要(かなめ)となるのは、私たちの走り抜くべき競争のゴールのところにおられるイエス様、いやゴールそのものであるイエス様をいつも見つめていく、そのイエス様に目を注いでいく、ということに尽きるのです。
ここには「信仰の創始者・完成者であるイエス」と言われているのですが、すでに学んだ大事な教えによるなら、「永遠の大祭司であるイエス様」と言うことができます。永遠の大祭司であるイエス様は、私たちのためにいつもとりなしをしていてくださる方です(7:25)。そのことを忘れず、そのことを覚えるための霊的修練であります。
  このイエス様は、復活される前には十字架の苦しみを忍び通された方です。私たちのために死の苦しみを味わい尽くしてくださいました。そのことは、すでに2章で教えられていましたが、ここで繰り返し「はずかしめをものともせず十字架を忍び」(2節後半)と言われています。十字架の処刑は恥辱の極みなのです。ですから、キリスト教会は最初、十字架をシンボルには用いませんでした。教会が十字架をシンボルにするようになったのは、キリスト教がローマ帝国の国教のようになった4世紀からのことです。 
 それまでキリスト教会がシンボルとしていたのは、ご承知の方も多いと思いますが、お魚です。「イエス・キリストは神の子、救い主」というギリシア語文章の五つの語の頭文字を綴(つづ)ると「魚」というギリシア語になります。初代教会の人々は、お魚を見て「イエス・キリストは神の子、救い主」という信仰告白を新たにされていたのです。
 はずかしめの十字架を忍び通し、死の苦しみを味わい尽くしてくださったイエス様は、死からよみがえらされ、死に対する勝利を得られました。このイエス様の十字架の死と復活の出来事を、私たちはいつもセットで受けとめなければならない。両者を切り離してはなりません。十字架の死の苦しみを味わい尽くし、死に勝利してくださったイエス様を見つめることによって、私たちも罪に勝利し、「いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てる」ことができるのです。復活の主イエス様は、高く天に上げられて「神の御座の右に着座されました」が、永遠の大祭司として、いつも私たちのためにとりなしの祈りをしていてくださるのです。
「信仰の創始者・完成者であるイエス」について、私が気づいたことを話します。私はこれまで《イエス様は私たちに信仰を与え、その信仰を完成させてくださる方》と理解していました。その理解が間違っているわけではありません。信仰はイエス様から賜るものであり、その信仰を完成させてくださるのもイエス様なのですから。しかし、2節の後半と合わせて、この聖句を黙想していますと、イエス様ご自身が信仰の創始者であり、信仰の完成者である、と理解するほうがよいと思うようになりました。そうだとすると、「信仰の創始者」は、文語訳や最初の口語訳のように「信仰の導き手」と訳すほうがよい。イエス様ご自身が「信仰の導き手・完成者」であられ、そのイエス様を見つめるようにして、イエス様の後に続くようにと、私たちは招かれているのです。そのように理解するのがよろしい、と思うようになりました。
3節に「あなたがたは、罪人たちのこのような反抗を忍ばれた方のことを考えなさい。それは、あなたがたの心が元気を失い、疲れ果ててしまわないためです」と書いてあります。この文書の受け手たちの間に、「心が元気を失い、疲れ果ててしまう」という現実が見られたのではないでしょうか。そうしたことは、私たちの信仰生活においても、しばしば見られます。牧師たちだけの会合で、よく話題になりますが、彼らは本当に疲れているのです。元気な私などは特別な存在に思われます。でも、私が元気なのは自分の力で元気なのではなく、いつもイエス様に目を注いでいるおかげなのです。
ですから、大切なことは、毎朝のディヴォーションと呼ばれる時間の過ごし方であります。あわただしく聖書を読んで少しお祈りして済ませるのではなく、何よりもイエス様に目を注ぐことです。私は、このことを一番大事にしています。朝起きて、洗面等を済ませたなら、イエス様ご自身に目を注ぐようにしましょう。私の罪のために十字架の苦しみを忍び通し、死を克服してよみがえらされたイエス様が、私の前にお立ちくださっている。そのイエス様のお口から語られる福音の言葉を聴くようにしています。
「あなたの罪は赦されています」「わたしはあなたにわたしのいのちを与えます」「あなたは私の愛する子、わたしはあなたを喜んでいます」と、イエス様が福音してくださるお声を心の耳で聴くのです。私は無条件に罪を赦され、永遠のいのちを与えられ、神の子とされています。そのために、イエス様は罪人である私のために死の苦しみを味わい尽くし、十字架を忍んでくださいました。そのことを深く黙想し、さらに観想しなければなりません。観想とは、深く思い巡らす黙想の域を越えて、そのことを本当に自分のものとして味わい尽くしていくことであり、それがとても大切なことなのです。

そのイエス様が、私に罪の赦しを宣言し、永遠のいのちが与えられていることを保障し、神の子にされていることを確証してくださいます。こんなにうれしいことはありません。これで元気が出なかったら、おかしいではありませんか。そのように「信仰の導き手・完成者であるイエス様」を、しっかり見つめていただきたい。信仰の完成は、復活であり昇天であると思います。私たちもイエス様の後について、復活と昇天の恵みにあずかるのです。それがゴールでありますが、その決め手はイエス様でありますから、イエス様ご自身がゴールでもあります。そのイエス様にしっかり目を注いでいくことを、何よりも大事にしていただきたい。  (村瀬俊夫 2006.2.5) 

《ヘブル書連続説教 24》 約束の実現を見なくても ヘブル 11:32~40

 新しい年を迎えて2006年の二度目の主日ですが、ヘブル書の連続説教をさせていただきます。今回は11章の最後の個所を学びます。11章には、旧約聖書に見られる信仰に生きた人々が取り上げられています。特にアブラハムについて、モーセについて詳しく述べられている箇所を学んでまいりました。そのことで著者はかなりの字数と時間を費やしましたので、32節に「これ以上、何を言いましょうか。もし、ギデオン、バラク、サムソン、エフタ、またダビデ、サムエル、預言者たちについても話すなら、時が足りないでしょう」と書いています。
  ここに名が挙げられた人々について詳しく述べていたら時が足りなく、また紙も足りなくなります。当時、紙は大量生産することができず、とても貴重品だったのです。それで、この人たちについては、33節と34節に一括して、「彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを得、獅子の口をふさぎ、火の勢いを消し、剣の刃(は)をのがれ、弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました」と書いてあるだけなのです。
 32節に名が記されている六人についてですが、最初の四人は士師記に、あとの二人はサムエル記に出てまいります。それから二人ずつ組み合わせて見てみます。ギデオンとバラク、サムソンとエフタ、ダビデとサムエル。この三組とも年代順には逆になっています。バラクのほうがギデオンより先、エフタのほうがサムソンより先であり、ダビデとサムエルでは、サムエルのほうが先であることは誰にでも分かります。どうして三つの組み合わせで年代順が逆になっているのか。意図的にそうしているのでしょうが、その理由はよく分かりません。最後に「預言者たちについても」と出てくる「預言者たち」には、エリヤやエリシャ、イザヤやエレミヤという人たちが含まれるのではないでしょうか。
 以上の人たちについて「彼らは、信仰によって、国々を征服し、正しいことを行い、約束のものを得、……」と言われているあたりは、大体そうかなと思われます。「国々を征服し」が一番よく当てはまるのはダビデです。しかし、続く「獅子の口をふさぎ」となると、以上の人たちには該当しません。このことですぐ思い当たるのはダニエルです。ダニエルを預言者と考えれば、問題はありません。ユダヤ教の聖書では、ダニエル書は預言書ではなく詩篇を代表とする諸書の中に入れられています。しかし、ヘブル書の著者が親しんでいた七十人訳聖書では、私たちの聖書と同じように、ダニエル書は預言書の仲間に入れられていたので、おそらくダニエルを預言者の一人とみなしていたのでしょう。
 ダニエルは獅子の檻(おり)に投げ込まれましたが、獅子はダニエルに襲いかかることをしませんでした。神が獅子の口をふさいでくださったのです(ダニエル6章)。続く「火の勢いを消し」もダニエル書の物語に関係があります。ダニエルと共にバビロンに連れて来られた三人の仲間たちは、彼らの信仰を曲げることがなかったので、火の燃える炉の中に投げ込まれました。しかし、彼らは焼け死ぬどころか、火の勢いを消すかのように生き延びたのです(ダニエル3章)。彼らの信仰は、「私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。……たといそうでなくても、私たちはあなたの神々に仕えることはしません」(ダニエル3:17-18)と、ネブカドネツァル王に向かって言い放った言葉によく表されています。
 それから「剣の刃をのがれ」とありますが、これには預言者エリヤやエリシャの場合が考えられます。エリヤはアハブ王の后(きさき)イゼベルの剣からのがれ(Ⅰ列王9:2以下)、エリシャはヨラム王の剣からのがれることができました(Ⅱ列王6:31以下)。さらに時代を下るなら、エレミヤがエホヤキム王の剣からのがれることができた事例を見ることができます(エレミヤ36:19,26)。
 次の「弱い者なのに強くされ」は、多くの人たちに該当するのでしょうが、特に女性たちのことが考えられているという見方があります。その場合、考えられる一人は王妃エステルです。彼女は「私は、死ななければならないのでしたら、死にます」と言い(エステル4:16)、死を覚悟して行動しました。一世紀末に書かれた[使徒教父文書の一つである]クレメンスの手紙Ⅰの中には、神の恵みによって強くされた女たちの筆頭に、ユディトが挙げられています(55:3-5)。ユディトは、旧約聖書には登場しません。旧約聖書の外典の中にあるユディト記の女主人公です。
このユディト記は、新共同訳聖書の中に、旧約聖書続編の一つとして収録されています。紀元前二世紀ころ、ユダヤの国はシリアのセレウコス王朝に支配されていました。その支配をはねのけてユダヤを独立させようとする運動が行われていたのです。そのユダヤ独立戦争が歴史的背景になっていたのですが、ユディト書の物語の舞台はバビロンのネブカドネツァル王の時代にさかのぼらされています。その点では、ダニエル書と似ている面があります。
物語では、ユダヤを攻めるのはネブカドネツァル王ですが、実際はシリアの王アンティオコス四世(彼は自らを神の「顕現」であるとしたので、アンティオコス・エピファネスとも呼ばれる)が攻めてきた時のことです。
ユダヤのある町が包囲され、餓死寸前に状態に追いやられました。そのとき、夫に先立たれて喪に服していたユディトが立ち上がります。彼女は「私には策がありますから敵の陣営に行かせてください」と自ら願い出ると、喪服を脱いで見違えるほど美しく着飾り、敵の陣営に降伏するように見せかけて入って行きます。ユディトの弁舌と容色に魅せられた敵将ホロフェルネスは、彼女が勧める酒に泥酔して寝入る間に、彼女に首をかき切られてしまいます。このユディトの勇気ある行動によって、餓死寸前にあった同胞ユダヤ人の多くのいのちが救われたのです。このユディトの物語は、「弱い者なのに強くされ、戦いの勇士となり、他国の陣営を陥れました」とある記述の格好の事例とみなされます。
  続いて35節に「女たちは、死んだ者たちをよみがえらせていただきました」とあるのは、預言者エリヤとエリシャの時代に、その事例を見ることができます。エリヤは、ツェレファテの貧しいやもめの男の子が重い病にかかり死んでしまった、その男の子を生き返らしています(Ⅰ列王17章)。そしてエリシャは、シュネムの裕福な女の男の子を、彼が急病で死んでしまった時に生き返らしています(Ⅱ列王4章)。そのように、ここで言われる「女たち」は、ツェレファテの貧しいやもめとシュネムの裕福な女のことである、と考えてよいでしょう。
  次に「またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放を願わないで拷問を受けました」とある事例は、これも旧約聖書には見られません。こ事例がはっきり認められるのは、外典(旧約聖書続編)のマカバイ記Ⅱにおいてであります。このことからも、ヘブル書の著者やその読者や聴き手である人々にとっては、外典の世界が身近にあったように思われます。彼らはユディト記やマカバイ記、このマカバイ記にはⅠとⅡがありますが、それらの書に普段からなじんでいたのではないでしょうか。
  マカバイ記Ⅱ7章には、「七人兄弟の殉教」の物語が記されています。シリア王のアンティオコス・エピファネスの攻撃を受け、捕虜とされた七人兄弟と母親がいました。彼らは暴行を受けたうえに、律法で禁じられた豚肉を食べるように強制されます。しかし、彼らは毅然(きぜん)として王に言い放ちます。「我々は父祖伝来の律法に背くくらいなら、いつでも死ぬ用意はできているのだ」(2節)と。最初の者が無惨な姿で殉教した後、二番目の者は、むごい拷問のすえ息を引き取る間際に言い放ちました。「邪悪な者よ、あなたはこの世から我々のいのちを消し去ろうとしているが、世界の王(神)は、律法のために死ぬ我々を、永遠の新しいいのちへとよみがえらせてくださるのだ」(9節)と。
 三番目の者から六番目の者まで、どの兄弟もむごい拷問のすえ息を引き取る前に、「神は我々を新しいいのちへとよみがえらせてくださるのだ」と言って、迫害する者たちを驚嘆させます。七番目の者(末の弟)の場合、迫害する王もあわれに思い、母親に「少年を救うために一役買うように勧めた」(25節)のです。母親は、末の息子を説得することを承知しましたが、説得するのではなく、「この死刑執行人を恐れてはなりません。兄に倣って、喜んで死を受け入れなさい。そうすれば、憐れみによって私は、お前を兄たちと共に、神様から戻していただけるでしょう」(29節)と言って、殉教するように励ましてしまったのです。なんという母親でしょう! 20節には、このように書いてあります。「それにしても、称賛されるべきはこの母親であり、記憶されるべき模範であった。わずか一日のうちに七人の息子が惨殺されるのを直視しながら、主に対する希望のゆえに、喜んでこれに耐えたのである」と。
この末の息子は、母親が語り終えると、すぐ王に向かって言いました。「何を待っているのだ。私は王の命令などに耳は貸さない。私が従うのは、モーセを通して我々の先祖に与えられた律法の命令である。……私たち兄弟は、永遠のいのちのために、つかの間の苦痛を忍び、神の契約の下に倒れたのだ」(30,36節)と。こうして七番目の息子も殉教し、最後に七人の息子の母親も殉教します。この七人の兄弟とその母親は、何を望んでそのような拷問に耐え、殉教することができたのでしょうか。それは、彼らを《新しいいのちへとよみがえらせてくださる》という信仰であります。それこそ、ヘブル書11章35節に「さらにすぐれたよみがえりを得るために」とあることの事例なのです。
36節以下には、「また、ほかの人たちは、あざけられ、むちで打たれ、さらに鎖につながれ、牢に入れられる目に会い、また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、荒野と山とほら穴と地の穴とをさまよいました」と書いてあります。このようなすさまじい情景は、「のこぎりで引かれ」(37節)とあることを除けば、マカバイ記ⅠとⅡの随所によく描き出されているものです。
「のこぎりで引かれた」という事例については、旧約聖書にも外典の旧約聖書続編にも見ることができません。外典にも数えられていない偽典の一つに『イザヤの殉教』という書があります。それには、預言者イザヤが、ゼデキヤの後にユダ王国の王となったマナセの下で、のこぎりに引かれて殉教したことが記されているのです。そのような偽典の物語は、伝説として流布していました。それでヘブル書の著者や読者たちも、それを知っていたのではないでしょうか。
なお38節には、「この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした」という注が挿入されています。彼らにふさわしい所は、この世ではなく天にある都でありますが、それは具体的には何か。それが39節と40節に書いてあるのです。
  39節には「約束されたもの」、40節には「さらにすぐれたもの」とあります。しかし、彼らは「得ませんでした」と言われているように、その実現を見ることはありませんでした。それなのに、それを望み見て、それが有るかのごとくに信じて、彼らは喜んで殉教したのです。39節には、そのことが「この人々はみな、信仰によって証しされました」と書いてあります。それでも、彼らは「約束されたもの」を得てはいませんでした。それにもかかわらず、彼らは《約束の実現を見なくても、その実現を見ているかのように確信して生きた》と言われているのです。
 40節を見ると、「神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられた」と書いてあるではありませんか。その「神があらかじめ用意しておられた」「さらにすぐれたもの」を、私たちは今いただいており、今まさに観ているのです。それは具体的には、何でしょうか。すでに学んできた大祭司キリスト論の教えである、と言ってもよいでしょう。12章2節には、「信仰の創始者であり、完成者であるイエス」と言われています。大祭司イエス・キリストは、信仰の創始者であり、完成者でもいらっしゃいます。私たちは、その方をいただいています。そのお方を持っているのです。
 しかし、旧約の人々は、また旧約続編に登場する人々は、その「約束されたもの」をまだ手にしていなかったし、その実現を目で見ていたわけではありません。約束の実現を見なくても、彼らはここまで信仰によって生きてまいりました。そういうことが、ここで言われているのです。
 最後に大事なことを述べて、結びにいたします。そういう旧約や旧約続編の時代の人々の信仰は、すばらしい信仰だと思います。でも、そのすばらしい信仰も、私たちに与えられているイエス・キリストの信仰をあらかじめ示している《予型》にすぎませんでした。私たちは、その予型が実際に現れた本物の「約束されたもの」を受けているのです。この「約束されたもの」は、ギリシア語原文では、もちろん単数形であります。
ところで、33節で「約束のものを得」と言われている「約束のもの」は複数形なのです。旧約時代でも、信仰に生きた人々は、《約束された数々のもの》を得ています。出エジプトをしたイスラエルの民は約束の地カナンに入ることができました。ダビデはさらに周囲の国々を征服し、イスラエル王国を形成しました。アブラハムの子孫が増えることも、ある程度まで実現しています。しかし、そういうことは、どれも完成された姿で実現しているわけではありません。いわば未完成の状態にとどまっているのです。
それに対して、新約時代に生きる私たちには、その「約束されたもの」が完成された姿で与えられています。その完成された姿における実現は、イエス・キリストによるものです。ヘブル書において、このイエス・キリストは、《メルキゼデクの位に等しい永遠の大祭司キリスト》であります。このお方によって完成された姿で実現している「さらにすぐれたもの」を、私たちは受けているし観てもいるのです。そういう私たちは、《旧約の人々にまさる信仰の人々として生き抜きましょう》と、強く勧められているのです。

 そのように「約束されたもの」「さらにすぐれたもの」が完成された姿において実現しているのを観て、私たちは憚(はばか)ることなく[大胆に]神の御前に近づくことのできる恵みに生きています。その喜びと感謝に満ちた姿を私たちが見せることこそ、旧約の人々の未完成の部分を完成させることになるのです。そのことが、40節の終わりに「彼らが私たちと別に全うされるということはなかったからです」と言われていることの意味であると思います。    (村瀬俊夫 2006.1.8)

《ヘブル書連続説教 23》 見えない方を見ているようにして

 2005年のアドヘントの第三礼拝ですが、私の説教はヘブル書の連続とさせていただきます。モーセが今回の個所の主題になっています。前回はアブラハムについて学びました。ヨハネの福音書8章で、イエス様は「アブラハムはわたしの日を見て喜んだのだ」と、本当にビックリするようなことを言われています。モーセについては、直接そういう言及はありませんが、私は「モーセもキリストの日を見ていたのではないかな」と思います。ですから、アドベントの礼拝でモーセのことを話すのもよろしいのではないか、と聖霊に教えられている思いです。
  11章には、約束のものを待ち望む信仰に生きた[旧約の]人々の模範が列記されています。すでに何人かの方々を学んでまいりました。今日は23節から31節までですが、この個所は明白に新しい段落になっています。新改訳聖書がどうして段落を設けなかったのか、私は不思議でなりません。モーセのほかにも幾人かの人が出で来ます。固有名で出てくるのは遊女ラハブで(31節)、その前の30節には「人々」と出てきます。これはヨシュアに率いられたイスラエルの人々のことで、彼らがみな「信仰によって」生きたのだ、と評価されているのです。
 しかし、モーセのことが一番詳しく述べられています(23-29節)。モーセの生涯を知るのは、出エジプト記、民数記、申命記からです。モーセの生涯は、どういうものであったか。ヘブル書の著者によると、目に見えない神の臨在を確信して、その神のことばへの信頼と服従に生き抜いた人として、モーセを見ています。これはモーセについての評価ですが、私たちもそのように評価されたいと思います。村瀬俊夫の生涯について、「見えない神の臨在を確信し、その神のことばへの信頼と服従に生き抜いた生涯であった」と言われたら、本当にうれしいと思います。皆さんもそう思われるでしょう。モーセの生涯を学びますが、<それは私たちの生涯のことであり、私もそのようでありたい>という思いで聴いていただけるなら、うれしく思います。
  まず、モーセについて言われている注目すべき言葉を見ましょう。「彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです」(26節)。「キリストのゆえに受けるそしり」という言葉に注目してください。なぜ、そんなことが言えるのでしょう。モーセが「キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富」と思った理由が、後半に「彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです」と書いてあります。
  「報いとして与えられるもの」とは何でしょうか。天にある都というのが正解でしょうが、それを確実に与えてくださる方はキリストですから、私は「モーセはキリストから目を離さなかったのだ」と思います。表の意味は天にある都です。しかし、その裏にある意味が、その都をもたらしてくださるキリストであります。そこで、すぐ思い浮かぶ聖句があるでしょう。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」とある12章2節です。この聖句と、11章26節の「報いとして与えられるものから目を離さなかった」とは、対応している表現であると見てよいでしょう。
  ヘブル書の著者は、12章2節にあるように、イエス・キリストを信仰の創始者また完成者であると見ています。その「信仰」は、11章1節で学んだように「望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させる」信仰でしょう。「目に見えないもの」の最たるものが神です。その目に見えない神を確信させてくれる信仰を、私たちのために創始してくださる方が、イエス様なのです。この創始者という言葉には、それが本来「先に立つ者」という意味ですから、別に「導き手」という訳もあります。イエス様は、信仰の創始者・導き手であるとともに、信仰の完成者でもあるのです。イエス様は、[アブラハムもモーセも足元にも近づけないほど]父なる神に信頼し、目には見えないが父なる神は共におられることを確信して、歩み通されました。
  モーセは、そのイエス・キリストから目を離さないで歩みました。それで「キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と思う」ことができたのだ、と言うことができるわけです。このようなモーセの信仰の歩みの中に、ヘブル書の著者は「キリストのゆえに受けるそしり」を見たのだと思います。私たちがキリスト者として歩む中にも、「キリストのゆえに受けるそしり」を、各自が自分なりに体験させられていくものではないでしょうか。
  私が非常に心引かれている人として、ディートリヒ・ボンヘッファーのことを思います。1945年4月、ドイツが降伏する一ヶ月前に、彼は処刑されて世を去りました。39歳でした。彼は本当にすばらしい人物です。家系も良く学問も積み、若くして学問的業績を上げていました。その頃、ドイツではヒトラーが政権を手にしました。そのヒトラーの正体をいち早く見破ったのが、20歳代半ばのボンヘッファーでした。ヒトラー歓迎の風潮が高まる中で、彼はヒトラーへの厳しい警戒の言葉をラジオ講演で述べたのです。そのように時代の流れと行く末をよく見抜くことができた人でありました。
  彼は後にヒトラーとの闘争に身を投じて行きます。その意味では、政治的に深くかかわったことになります。でも彼は、他面において、深く内面的信仰を培った人でした。それは『共に生きる生活』あるいは『キリストに従う』という彼の著作を読むと、よく分かります。アシュラムのようなことを、彼はとても大事にしていました。聖書はただ読むのではなく、<聖書を通して神が語ってくださる言葉に聴いて応えていくのだ>ということを強調し、そのことを牧師研修所の所長(時に彼は30歳前後)として牧師になろうとする人々に教えました。そのように彼自身が聖書から神のことばを聴き、その福音に応えて生きるために、彼はヒトラーを倒さなければいけないと考え、ヒトラー暗殺事件に関与し、逮捕されて処刑の日を迎えたのです。
  そうなる前に、彼はいくらでも国外に出る機会がありました。アメリカのある神学校では、優秀な彼を教授に招く用意もしていました。でも、彼は「ドイツの国民と苦しみを共にすることをしなかったら、私がキリストに従う意味はどこにあるのか」という思いで、危険を覚悟してドイツに帰って来たのです。そういう彼も、「キリストのゆえに受けるそしり」を、国外にいれば自分が受けたであろう多くの名誉にまさる大きな富と考えた証人の一人である、と私は思います。
 ボンヘッファーが最後まで神とキリストに従った信仰の姿が、彼の処刑の時に居合わせた収容所の医師によって証しされています。絞首刑が行われる前に、彼は控えの部屋で何をしていたのか。収容所の医師へルマン・フィッシャーは、<彼がひざまずいて祈っている姿を見た>と証言しているのです。彼はいつも、死を前にしても、目に見えない神が本当におられるのだと確信して生きた人なんだと思います。私たちも、そのような確信をもって歩む人にさせていただきたい、と心から願わされます。
  モーセの信仰は、実は、両親の信仰に始まります。ですから、この段落の初めに、「信仰によって、モーセは生まれてから、両親によって三か月の間隠されていました。彼らはその子の美しいのを見たからです。彼らは王の命令をも恐れませんでした」(23節)と書いてあります。このことは出エジプト記1章に記されています。紀元前13世紀頃のエジプトの王朝は、エジプトにいるイスラエル人の[数百年も前の]先祖ヨセフのことは知りません。その頃のイスラエル人は、エジプト王の建築事業のために奴隷として酷使されていました。それでもイスラエル人の女がたくさん子ども産むので、その繁殖力を恐れたエジプト王は、生まれてくるイスラエル人の男子は殺せ、という命令を出したのです。
  モーセは男の子として生まれたので、生まれると同時に殺される運命にありました。しかし、両親は生まれた男の子を殺さず、ひそかに家の中に匿(かくま)って育てたのです。でも、三か月もすると、泣き声がやかましくて隠し切れなくなります。聖書以外にもモーセの生涯について記した書物があります。フィロンというアレキサンドリア在住のユダヤ人哲学者がいました。イエス様より少し後の時代の人で、たくさんの書物を残しています。その中に『モーセの生涯』と題する1冊がありますが、そこには「三ヵ月後、彼ら(モーセの両親)の神経は極限に達して、誕生のとき殺してしまえばよかったと思うほどであった」と書いてあるのです。
 ついに隠し切れずに、両親はパピルス製のかごに赤ちゃんのモーセを入れ、ナイル川の葦の茂みの中に浮かべました。すると、幸いなことに、赤ちゃんのモーセはエジプトの王女に助けられ、エジプト王パロの娘の子として育てられることになります(出エジプト2章)。エジプトの王宮で当時の最高の学問を学ぶ機会に恵まれて成人したモーセについて、聖書以外の書物がいろいろな情報を寄せています。先に挙げたフィロンの『モーセの生涯』によると、モーセは算術・幾何学・詩・音楽・哲学・占星学に通じていました。
また、ヨセフスという[イエス様より少し後に活動した]ユダヤ人が書いた『ユダヤ古代史』という長編の著作の第2編に、モーセのことが述べられています。それによると、聖書に書いてあるように、<彼は知恵に恵まれて、容姿も美しかった>と言われていますが、それ以外に、エジプトがエチオピアへ軍を進めたとき、<モーセは軍司令官であった>ということが書いてあるのです。それでモーセは軍事にも長けていた人だ、ということがヨセフスの記録から分ります。
 さらに、ヨセフスよりも前の時代の人であるエウポレモスの著作によると、<モーセはアルファベットの創案者である>と言われています。これはかなり飛躍のある意見で、信頼性に欠ける情報だと思いますが、モーセがアルファベットを創案し、それがフェニキア人を通してギリシア人に伝わった、と言われているのです。モーセはエジプトの王子として、至れり尽くせりの環境の中で、学問や技芸を習得し、軍事的指導者としての訓練も積んでいたのではないでしょうか。
しかし彼は、そうしたことに甘んじないで、自分がイスラエル人であることを自覚したとき、神の民であるイスラエル人と共に苦しむ道を選び取りました(25節)。ここで私たちは、モーセがその方から目を離さなかったと言われる、キリストのことを思います。イエス・キリストは、神と等しい方、まさに神ご自身であられたのに、その栄光の中にとどまることをよしとされないで、私たちと同じ人のかたちを取って世に来られました。そして死の苦しみを味わう道を選び取られたのです(ピリピ2:6以下参照)。モーセはその先駆けであったのだ、と言うことができます。
  そのモーセについて、27節に「信仰によって、彼は、王の怒りを恐れないで、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見ているようにして、忍び通したからです」と書いてあります。イエス様も、地上のご生涯において幾多の苦しい谷を通り、山を越えていかれました。十字架の苦しみは、その最たるものです。しかし、その時も、目に見えない方を見ているように、父なる神が共におられるのだと確信して、忍び通されました。 
 モーセがパロと対決するのは大変なことでした。パロは絶大な権力者です。このパロに「イスラエルの民をエジプトから出させてください」と要求する中で、神がエジプトに十の災害を与え、初子を滅ぼす第十の災害が決め手になって、パロはイスラエルの民がエジプトを出ることを許します(出エジプト12章)。しかし、それからも大変でした。出て行くイスラエルの民をエジプト軍が追いかけてきたからです。イスラエルの行く手には海があります。後ろからエジプトの大軍が迫って来ます。絶体絶命のピンチです。
 そのとき神は、モーセに力を与え、前方をさえぎる海の間に陸地を設けてくださいました。紅海が二つに割れたのです。29節に書いてあるように、「信仰によって、彼ら(イスラエルの民)は、かわいた陸地を行くのと同様に紅海を渡りました。」 イスラエルが渡り切ると、割れた海が元に戻って、追いかけて来たエジプトの大軍をのみこんでしまったのです(出エジプト14章)。
 30節と31節に触れて終わりますが、そこに書いてあるのは、約束の地を目前にしてモーセが死に、後継者ヨシュアに率いられたイスラエル軍が約束の地に入って、城壁で囲まれたエリコの町を占領することにまつわる出来事です。難攻不落と思われたエリコの町の城壁は、ヨシュアが神に指示されて七日の間、周囲を[最初の六日は一回、七日目には七回]回ると、たちまち「くずれ落ちました」(30節)。こうしてイスラエル軍はエリコを占領することができたのです(ヨシュア6章)。
 そのエリコには遊女ラハブがおりました。ヨシュアに率いられたイスラエル軍は、闇雲(やみくも)にエリコに攻め入ったのではありません。よく敵情を偵察するために、二人の斥候をエリコに忍び込ませます。彼らが忍び込んだのは遊女ラハブの家でした。なぜ二人の斥候がそんな所に忍び込んだかというと、出入りが多くて目立たないし、何よりも情報が入手しやすかったからです。その時にラハブは、この二人が普通の人ではなく、またイスラエルの人だということを知りました。それで彼女は彼らをかくまったのです。
 イスラエルの斥候がエリコに忍び込んだことはエリコの王にも知らされ、王の使いの者たちがラハブの家を調べに来ました。二人の斥候を絶対に見つからない所に隠したラハブは、「彼らは暗くなるころ町を出て行きました。追いかければ間に合うでしょう」と言って、王の使いたちを退散させます。その後、ラハブは二人の斥候にお願いをします。「やがてイスラエル軍が攻めて来てエリコの町が滅びる時に、私のことを覚えて助けてください」と。そのとき交わした約束事のおかげで、エリコが陥落したとき、ラハブはイスラエル軍によって助けられたのです(ヨシュア2章、6:17以下)。

  なぜ彼らは、そのようにすることができたのか。見えない方を見ているように確信して行動したからである、と言うべきです。エリコの城壁を回ったところで何が起こるのか。そんなばかばかしいことができるもんか。そう思いたくなる人間の常識を超えて、彼らがそうすることができたのは、目に見えない神が共におられるということを、まさに見ているように確信したからではありませんか。私たちにとっても、復活の主キリストは目に見えませんが、聖霊によって私たちのところに来て共におられることを、日々のみとばの静聴によって確信して歩むことが、本当に大事なのです。       (村瀬俊夫 2005.12.11)

《ヘブル書連続説教 22》 天 の 故 郷 に あ こ が れ る ヘブル 11:8~22

 今回の個所にはいろいろな人が出てきますが、その中での主要な人物はアブラハムです。旧約時代の信仰の人々の信仰は、約束のものを待ち望む信仰として特色づけられています。そのような信仰に生きた旧約の人々の模範として第一番に挙げられるのが、ここに登場するアブラハムであります。
  創世記15章5-6節を見てください。「そして、[主は]彼(アブラム)を外に連れ出して仰せられた。『さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。』 さらに仰せられた。『あなたの子孫はこのようになる。』 彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。」このようにアブラハムは、「あなたの子孫は天の星のようになる」という主の約束を信じました。その信仰を、主は彼の義と認めてくださったのです。パウロは、これを根拠に、イエス・キリストへの信仰によって義と認められる、という信仰義認の教えを展開しました。
  そのパウロの言葉を読みます。「私たちは、『アブラハムには、その信仰が義とみなされた』と言っていますが、どのようにして、その信仰が義とみなされたのでしょうか」(ローマ4:9-10)。このように問いかけて、さらにこう書いています。「彼は、割礼を受けていないとき信仰によって義と認められたことの証印として、割礼というしるしを受けたのです。それは、彼が、割礼のないままで信じて義と認められる者の父となり、また割礼のある者の父となるためです」(11-12節)。
 割礼の問題が絡んでややこしくなっていますが、アブラハムが割礼を受けたのは創世記15章よりも先になってからです。アブラハムが神の約束を信じ、その信仰を義とみなされたのは、彼が割礼を受ける前のことでした。割礼は神の民として選ばれたイスラエル人のしるしでした。その割礼を受ける前に、アブラハムが神の約束への信仰によって義と認められたことは、パウロによると、割礼を受けない人たちも信仰によって義と認められることの根拠になるのです。
  11章8節以下のアブラハムについての記述には、「信仰によって」で始まる文章が4回出てきます。最初は8節「信仰によって、アブラハムは、相続財産として受け取るべき地に出て行けとの召しを受けたとき、これに従い、どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」 第二は9節「信仰によって、彼は約束された地に他国人のようにして住み、同じ約束をともに相続するイサクやヤコブとともに天幕生活をしました。」
  第三の11節は、新改訳も新共同訳も、サラを主語として読んでいます。しかし、主語はアブラハムとして読むのが、前後関係からも首尾一貫しているのです。すなわち、「信仰によって、彼は[妻]サラもすでにその年を過ぎた身であるのに、子を設ける力を与えられました。約束してくださった方を真実な方と考えたからです」と。サラを主語として「子を宿す」と訳しているギリシア語は、男の立場から「子を宿させる、子を設ける」と訳すのが正確なのです。
  ここだけサラが主語になるのは唐突ですし、創世記18:11-15を見ると、サラは自分から男の子が産まれると聞いたとき、「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう[子など産めるものか]」と言って笑っています。「なぜ笑うのか」と言われると、「私は笑いませんでした」と言って打ち消しています。そんなサラを、この個所だけ主語にして読むのは適当でないと思います。
  もっとも、アブラハムも、この点に関しては、あまりほめられません。この約束をサラよりも先に聞いたとき、彼も心の中で笑いました。そして、「どうかイシュマエルが、あなたの御前で生きながらえ[後継者となり]ますように」と神に申し上げているのです(創世17:16-19参照)。イシュマエルは、サラの女奴隷ハガルとアブラハムとの間に生まれた息子です。サラは自分に子が宿らないことを知り、当時の慣習に従って自分の女奴隷をアブラハムにそばめとして差し出し、自分に代わってアブラハムの子を産ませようとしました。その結果、誕生したのがイシュマエルだったのです。
  そのイシュマエルを自分の世継ぎにしてほしいとアブラハムは願いましたが、神から再度「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ」と言われます(創世17:19)。 そのときアブラハムは[創世記にははっかり書いてありませんが]信じたのではないでしょうか。ヘブル書の著者は、そのような理解をはっきり示しているのです。
  それから第四が17節で、「信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです」とあります。このように、計四回、「信仰によって、アブラハムはこうこうした」ということが書いてあるのです。
  13節を見ていたただきます。「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました」とある「この人々」は、アブラハムとその子イサク、さらにその子のヤコブを指していると思われます。しかし、その代表者はアブラハムです。「約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです」とある続きの文章も、代表者であるアブラハムに一番良く当てはまります。
  アブラハムは、「あなたの生まれ故郷を出て、わたしが示す地に行きなさい」という神の声を聞くと、すぐに出て行きました(創世12:1,4)。神のことばに無条件に従ったのです。彼は「信仰によって、どこに行くのかを知らないで、出て行きました」(8節)。その結果、導かれた地が現在のイスラエルあるいはパレスチナと呼ばれる所で、当時はカナンの地と呼ばれていました。しかし、彼はそこに定住者のように居着くことはせず、「約束された地に他国人のようにして住み」(9節)寄留生活をしたのです。
  いつでも移動できる天幕生活をし、土地を取得することもしませんでした。それは彼が「堅い基礎の上建てられた都を待ち望んでいたからです」(10節)。その神が「建築し設計された」都は、どこにあるのか。地上にはありません。それは天にある都であり、天の故郷を彼は待ち望んでいたのです。彼が土地を求めて定住することをしなかったのは、その証しにほかなりません。
  子孫が「天の星のように、また海べの数えきれない砂のように」増えるとの約束が果たされるためには、まずアブラハムと妻サラとの間に子どもができなければなりません。しかし、アブラハム夫婦にはなかなか子どもが授かりませんでした。夫婦とも年を取り、人間的には子どもを授かる見込みのない高齢者になっていました。そこで非常手段として、サラが自分の女奴隷ハガルに産ませて誕生したイシュマエルです。アブラハムも、このイシュマエルが約束を受け継ぐ者だと思いました。しかし、神から「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ」と言われたとき、彼は「約束してくださった方を真実な方と考えた」のです。
  子を設ける力を失っていた点で「死んだも同様の」と言われているアブラハムから数多い子孫が生まれるようになる始まりとして、アブラハムとサラとの間にイサクが誕生します。イサクはリベカという女性と結婚し、双子の男子が生まれます。エサウとヤコブです。この兄弟の間でいろいろなことがありましたが、神は弟のヤコブをイサクの後継者に定めておられました。13節に「これらの人々はみな、信仰の人々として死にました」とある「これらの人々」は、アブラハム、イサク、ヤコブのことです。
  彼らが「約束のものを手に入れることはありませんでした」と言われるのは、数多い子孫が生まれるのをまだ見ていなかったからでしょう。ヤコブはちょっぴり見ていたと言えるかもしれません。彼は4人の妻(正妻は2人、他の2人は彼女らの女奴隷)から計12人の息子を授かったからです。でも、12人では「天の星のように数多い子孫」とは言えませんね。そのように彼らは約束のものをまだ見てはいませんでしたが、その実現を信じ、「はるかにそれを見て喜び迎える」(13節)ようにして死んだのです。
  それから、彼らが「地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです」と言われている点に、注目してほしい。私たちの信仰生活にとって、とても大事なことが教えられているからです。「愛する者たちよ。あなたがたにお勧めします。旅人であり寄留者であるあなたがたは、たましいに戦いをいどむ肉の欲を避けなさい」(Ⅰペテロ2:11)。このように地上にある私たちキリスト者は、「旅人であり寄留者である」と教えられています。「私たち[キリスト者]の国籍は天にある」からです(ピリピ3:20)。
  キリスト者である私たちの国籍は天にあります。これは大事なことです。私たちの主イエス・キリストは、どこにおられるか。天におられます。天におられる父なる神の右に座しておられます。私たちはそのキリストに属する者ですから、私たちの国籍は天にあるのです。このことは、いつも肝に銘じておきましょう。そのことを真剣に受け止めて、地上の土地を買わず自分の家も建てずに過ごしたキリスト者たちがいます。自分の土地を買い自分の家を建てたとしても、そこが自分の最後の住み処(か)であるとは考えないのが、キリスト者なのです。
  そうであるなら、キリスト者として歩み始めることは、アブラハムのように、地上における自分の故郷を捨てることになると思います。カトリックの神父やシスターたちは、いつどこへでも、すぐに移動できるように、私有財産を持っておりません。<霊的な意味において、キリスト者は地上の故郷を捨てている者である>という心構えが大事なのです。また<精神的には、地上の国籍をも超えていなければならい>と思います。地上に故郷を求めず、地上では旅人また寄留者である歩みを貫いて、天の故郷にあこがれている者である、という証しの立つ歩みをさせていただきましょう。
  「彼らはこのように言うことによって、自分の故郷を求めていることを示しています」(14節)。この「自分の故郷」とは、地上の故郷ではありません。そのことは、続く15-16節を読めば明らかです。「もし、出て来た故郷のことを思っていたのであれば、帰る機会はあったでしょう。しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。それゆえ、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいませんでした。事実、神は彼らのために都を用意しておられました。」 その見えない都(天の故郷)を見えるもののようにあこがれて歩んだ信仰者の模範こそ、アブラハムであったのです。
  17節を見ると、「信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。」 この試みは筆舌に尽くしがたいものがあります。それは非情な上に不条理な試みです。神の約束の子であるイサクをささげたなら、神の約束はどうなるのか。神が御自ら約束を反古(ほご)にしてしまわれるのか。そういう恐れのある不条理な命令です。さらにアブラハムにとっては、約束の相続者である「ただひとりの子」を差し出せという非情も極まる命令でした。そのことを思うと、この非情な上に不条理な命令を受けて、アブラハムが神を捨ててしまったとしても、おかしくないくらいです。
  それにもかかわらず、彼はイサクをささげるため、指定の地へと出かけました。そのとき神はいけにえの羊を用意しておられたのですが(創世22章参照)、なぜ彼は、そのように「自分のただひとりの子をささげる」ことができたのでしょうか。その理由が18-19節に書いてあります。「神はアブラハムに対して、『イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる』と言われたのですが、彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。」 これは旧約聖書には書いてないことであり、ヘブル書の著者の聖霊に導かれた解説であります。
  アブラハムが悩み抜いたすえ、イサクをささげる決心がついたのは、たとえイサクが殺されても、神はイサクを死者の中からよみがえらせることがおできになる、と考えた(信じた)からです。そして実際、彼は死者[も同然の状態]の中からイサク取り戻すことができました。ヘブル書には、この19節以外に復活という言葉は出てきません。しかし、この事例からだけでも、ヘブル書には復活の信仰が息づいていることがよく分かります。復活の信仰のゆえに、アブラハムはイサクをささげることができたのです。 
  このことに関して、イエス様が「あなたがたの父アブラハムは、わたしの日を見ることを思って大いに喜びました。彼はそれを見て、喜んだのです」(ヨハネ8:56)と言われた言葉が、非常に重要になります。このイエス様の御言葉と、ヘブル書11章19節とが、まさに呼応し共鳴しているのです。アブラハムは復活の信仰によって、イエス様の復活の日を見ていたことになります。19節の終わりに「これは型です」とありますが、それは<キリストの死者の中から復活の予型である>という意味にほかなりません。
  最後に言っておきたい大事なことがあります。私たちは地上において旅人また寄留者として歩みます。私たちが真に求めているものは天の御国であり、その天の故郷に私たちはあこがれているからです。しかし、そのような歩み方にはまり込んでしまうと、地上のことはどうでもいい、ということになってしまうのではないか。そのような心配があります。キリスト者は、天の故郷のことばかり考えて、地上の煩(わずら)わしい問題から逃げているのではないか。そのように言われるようになる心配があるのです。
  ですから、そうではない、アブラハムは天の故郷にあこがれる歩み方をしたが、地上においても責任のある生活を全うしたのだ、ということも強調しなければなりません。愛する妻サラが死んだとき、彼はサラのための墓地を造りました。そのために彼は、マクペラという地にある小さい土地を手に入れたのです(創世23章)。
  そのように、天の故郷にあこがれるキリスト者は、地上の生活を顧みない[旅の恥はかき捨てのような生活をする]のではありません。地上のことへの執着から解放されている分だけ、それだけ自由になって、公平な見方をすることが許されて、地上の問題に責任をもって取り組むことができるのです。
  もう一つ大事なことを言い添えて終わります。いつも、天におられる大祭司キリストのことを深く思い、朝ごとの黙想と観想のうちに、そのキリストをしっかり見詰めていく生活を喜びとすることが、天の故郷にあこがれるキリスト者の生きた証しとなるのです。 (村瀬俊夫 2005.11.13)