2015年12月23日水曜日

《ガラテヤ書連続説教 2》 使徒パウロの回心と召命  ガラテヤ1:11~24

 私たちはパウロのことを「使徒パウロ」と呼んでいます。この「使徒」と呼ばれる人々は、初代教会においては、イエス様から特別な権威をゆだねられて、福音宣教において重要な任務を果たしました。使徒が伝えた福音こそ本当の福音であるとされ、「使徒的福音」という言い方もされたくらいです。
では、パウロは、いつ、どのように、使徒として召されたのか。彼には、16節に「異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるために」と書いているように、異邦人に福音する使徒として遣わされている、という強い自覚がありました。それは、彼が《異邦人への使徒》として召されたということです。一つはっきりしているのは、そのような召命を受けた前と後とで、彼の生活ぶり、その他すべてのことが全く違っていた、ということであります。召命の出来事を境にして、彼の生涯に劇的な変化が起こったのです。
その劇的な変化を引き起こしたのは、回心の出来事にほかなりません。それで今回は、「使徒パウロの回心と召命」という説教題にしました。回心という劇的変化があって、彼が使徒として召される前後で大きな違いが生じることになったのです。
それから《彼がどのようにして召されたか》ということですが、それは前回学びました。この手紙の冒頭で、「私が使徒となったのは、人間から出たことでなく、また人間の手を通したことでもない」ときっきり言っております。彼は人間から任命されたのでもなく、人間的組織で任職されたのでもありません。私を使徒としてくださったのは、キリストであり、キリストを死者の中からよみがえらせてくださった父なる神である。このようにパウロは明言しています。そのことが11~12節に繰り返し述べられているのです。
12節の終わりに、「イエス・キリストの啓示によって受けたのです」とある言葉は、①パウロがイエス・キリストを直接示されたということ、②復活のキリストが彼に現れ、その復活のキリストから任命を受けたこと、その両様の意味があると思います。
彼が異邦人への使徒として召される前まで、彼は熱心なユダヤ教徒でした。そのことについて13~14節が述べています。「以前ユダヤ教徒であったころの私の行動は、あなたがたがすでに聞いているところです。私は激しく神の教会を迫害し、これを滅ぼそうとしました」(13節)。このことは、すでに多くの人々に知られていることでした。「また私は、自分と同族[のユダヤ人]で同年輩の多くの者たちに比べ、はるかにユダヤ教[の教えと実践]に進んでおり、先祖からの伝承に人一倍熱心でした」(14節)
ユダヤ教には、旧約聖書に加えて多くの伝承がありました。その中に、安息日を聖なる日として守るためにしなければならない細々とした取り決めも記されているのです。そのような伝承を守り行うことにおいて、彼は人一倍熱心でした。そのように彼は、模範的な生粋のユダヤ教徒であったのです。このように彼が自分の過去のことを書いているのは、《よほどのこと[まさに劇的なこと]がなければ、こういう自分が異邦人への福音の使徒なることなんてありえなかったのだ》と言いたかったからだと思います。
ここはパウロが自分自身について言及している箇所で、いわば自伝的記録として知られています。私も以前は、そういう言い方をそれほど不思議に思わず、それでいいのだと思っていました。でも、そういう意味で彼が自分自身について語っているのでない、ということはお分かりいただけますね。
 15~17節に「けれども、生まれたときから私を選び分け,恵みをもって召してくださった方が、異邦人の間に御子を啓示することをよしとされたとき、私はすぐに、人には相談せず、先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上らず、アラビヤに出て行き、またダマスコに戻りました」と書いてあります。この文章の主文は、16節後半以下の「私はすぐに、人には相談せず、……」なのです。パウロが自分の回心と召命に言及しているのは、その前の箇所、すなわち副文章の中においてであります。
 「生まれたときから」と訳した原語は、「母の胎[にあったとき]から」と直訳したほうが良いと思います。母の胎に宿っていて生まれ出る前から、神はパウロを選び分け、恵みをもって異邦人への使徒として召してくださったのだ、と言っているのです。「異邦人の間に御子を宣べ伝えさせるため」は、「異邦人の間に福音させるため」と訳すべきだと思います。このギリシア語の動詞は「福音」を意味する名詞を動詞化したもので、「福音する」という意味だからです。それを「宣べ伝える」と訳すのでは物足りません。
 この副文章を私が満足するように私訳してみると、「母の胎内にいたときから私を選び分け、恵みをもって召してくださった方がよしととされるままに、異邦人の間に御子を福音させるため、御子を私のうちに啓示してくださったとき、私は……」となります。
大事なことは、「御子を私のうちに啓示してくださった」「イエス・キリストが私のうちにはっきり示された」ということです。そのイエス・キリストのことを、ここで「御子」と呼んでいます。冒頭の1節で「イエス・キリストと、キリストを死者の中からよみがえらせた父なる神」と書いていますが、神はキリストの「父なる神」で、キリストはその「御子」であられます。その御子がパウロにはっきり示されました。しかし、その場所は明記されていません。そういう記録の不備からも、パウロが自伝的記録を意図していなかったことが明らかだと思います。
 パウロに御子が啓示されたときの情景を述べているのは、使徒の働き(使徒言行録)9章です。彼はダマスコにいるキリスト者たちに迫害の手を伸ばそうとダマスコに近づいていました。そのとき彼は突然、天からの光に打たれて地に倒れました。その光の中に復活のキリストがおられたのです。このことは、使徒の働きの22章にも26章にも、パウロの口を通して語られています。9章の語り手は使徒の働きの著者(伝統的にはルカ)です。それなのに、パウロ自身の手紙には、この劇的な情景は何も語られておりません。
 パウロにとって、《回心の出来事がどんなに劇的なものであったか》ということは、それほど重要なことではなかったのでしょう。彼にとって大事なことは、ここに書いてあることなのです。「母の胎内にいたときから、私は神の恵みによって選び分けられていたのだ。」これと同じ思いを抱いた人たちが、旧約の預言者たちの中におりました。サムソンは預言者からはみ出しそうな人物ですが、預言者に入れてもよいでしょう。彼もその一人です(士師13:3)。そして預言者エレミヤ(1:5)、イザヤ書の中の主のしもべ(49:1)がいます。パウロは《自らの劇的な回心の体験は預言者たちの召命のときの体験に相当するもの》と捉えていたに違いありません。
 私も、1991年2月15日の朝、《イエス様に自分の足を洗っていただいた》という劇的な経験をしました。しかし、そういう劇的な経験そのものが大事なのではなく、それが意味していることが大事なのです。イエス様が私を無条件に赦してくだり、福音の証し人として立ててくださっています。そのことが大事なのです。このことによって、私は福音の真髄をこの体で把握させていただき、《まさに福音の免許皆伝を与えられたのだ》という思いでおります。
 パウロの回心による召命体験は、異邦人の間に御子を福音する使命に通じるものでした。彼は、異邦人には《神を御子キリストの父として知ってもらいたい》と願ったのではないでしょうか。異邦人に神を知らせるときは、イエス・キリストの父なる神として知らせなければならない。そのようにパウロは示されたのではないでしょうか。その父は慈愛の父であり、御子キリストを賜った愛の父であります。その御子の福音は、私たちの罪を無条件に赦し、私たちに永遠のいのちを与え、私たちを神の子としてくださいます。御子の福音によって、私たちも神を「父」とお呼びすることができるようにされるのです。
 すでにお分かりいただけたように、パウロにとっては、劇的な回心の出来事が、同時に、異邦人への使徒としての召命に直結しています。私たちの場合は、そうはいかないと思います。私は19歳のときイエス様を信じ、20歳で洗礼を受けました。しかし、伝道者として召されたという思いになったのは、すなわち、伝道者として献身するよう召命感を受けたのは、その翌年の21歳のときでした。このように、回心と召命とは、時間的にずれるのが普通であると思います。
 しかし、パウロの場合、回心と召命は結びついていました。これは独自なことであると言わなければなりません。そのことで私が思ったことを、『週報』第3面の囲み欄に書いておきました。読んでみます。「パウロの場合、回心と使徒職への召命が同時であったことには、特殊な事情があったことが考えられる。ユダヤ教の伝承に人一倍熱心であろうとして、彼はキリスト者と教会を迫害したが、死も恐れないキリスト者たちの信仰を見て、ひそかに畏敬の念を抱いていたのではないだろうか。その念は、ステパノの殉教に立ち会ったとき、すでに彼の内心のうちに深く印象づけられていたのではないかと思われる(使徒7:57~8:1)」と。
 パウロがダマスコ途上で復活のキリストに出会わされたとき、彼は「サウロ(これはパウロのヘブル名)、サウロ。なぜわたしを迫害するのか」という声を聞きました(使徒9:4)。それは彼を叱責する口調ではなく、彼を無条件に赦そうとする愛に満ちた口調であったに違いありません。そのイエス様の御声に触れたとき、彼の心の奥深いところで、迫害しつつも迫害される対象に抱いていた畏敬の念が俄然よみがえり、突然とも思われる劇的な御子の福音への回心となって、それが異邦人へ御子を福音する使徒職への召命に直結したのではないでしょうか。このように考察するとき、まさに神の恵みの介入によって、回心と召命とが結びつく事態が起こりえたのだ、と言うことができるでしょう。
 それからパウロは、劇的な回心を経験して異邦人への福音宣教の使徒としての召命を受けた後、どのような行動をしたかを述べています。それが16節後半からの主文章であります。そして当然のことながら、主文章で述べていることが、彼にとっては大事なことなのです。15節から16節前半までは副文章であって、その副文章は主文章で述べることのために記されているのだ、ということを忘れてはなりません。副文章で大事なことが言われているなら、もっと大事なことが主文章で言われているのです。
 この主文章で、パウロは「私はすぐに、人には相談せず、……」と言っています。すぐに人には相談しておりません。誰にも相談せず、人の意見を聞いたり、指示を受けるようなことはしておりません。17節では、「先輩の使徒たちに会うためにエルサレムにも上りませんでした」と言っています。先輩の使徒たちがいる原始教会がエルサレムにあるのです。 [人間的に考えれば]そこへ彼はすぐにも行って、先輩の使徒たちに敬意を表し、いろいろ報告しなければならないのに、彼はそうしませんでした。
 そうしないでパウロはアラビヤに出て行きました。アラビヤと言っても、砂漠地帯ではなく、アラビヤ地方の一地域にあるナバテヤ王国へ行ったのです。そして、またダマスコに戻ってまいりました。書いてあるのはこれだけです。アラビヤのナバテヤ王国には、何のために行ったのでしょうか。
 二つのケースが考えられます。一つは、瞑想あるいは黙想の時を過ごすためです。自分が経験した劇的な回心。復活のキリストが私のうちに示された。神の御子が私に啓示された。そのとき彼は罪の赦しの福音を全身で受けとめさせられたと思います。教会を迫害しキリストご自身を迫害した途方もない罪を無条件に赦されました。そのことを彼は体験したのです。その福音の恵みを黙想し瞑想する時を過ごしたことが考えられます。
 別のケースを考えましょう。パウロの場合、回心と召命が直結し、回心と同時に異邦人への福音宣教の使徒として召されたのですから、彼はナバテヤ王国へ行って異邦人に福音を宣教したのではないでしょうか。ここの「出て行く」という用語は、《福音宣教のために出て行く》という意味で使われている可能性が大きいと思います。23節に「私はシリヤおよびキリキヤの地方に行きました」とあるのは、遊びや休息のためでなく、明らかに御子を福音するために行ったのです。
「それから三年後に、私はケパをたずねてエルサレムに上り、彼のもとに十五日間滞在しました」(18節)。いつまでもエルサレムに報告しないでいるわけにはいきません。でも、エルサレムに上ったのは「三年後」でした。しかも「十五日間滞在した」だけでした。そのときパウロが会ったのは、ケパ(ペテロ)と主の兄弟ヤコブだけで、「ほかの使徒にはだれにも会いませんでした」(19節)
このように書いているのは、彼が使徒となったのは先輩の使徒たちから任命されたり、公認されたりしたからではないことを明らかにするためです。先輩の使徒たちを代表するペテロと、エルサレム教会を代表するヤコブとに会ったのは、これまで彼が御子を福音してきた福音が先輩の使徒たちの福音と同じものであることを確認し、ユダヤ人と異邦人との教会の福音における一致と交わりを実現するためであったと思われます。
 それからパウロは「シリヤおよびキリキヤの地方に行き」(21節)、御子を福音しました。「しかし、キリストにあるユダヤの諸教会には顔を知られていませんでした」(22節)。彼がユダヤの諸教会には福音宣教をしなかったのは、そこには異邦人があまりいなかったからでしょう。それに回心前の迫害者サウロのイメージが、ユダヤの諸教会には強く残っていたと思われます。そのユダヤの諸教会の人々も、パウロが劇的な回心を経験し、以前迫害していた信仰を「今は宣べ伝えている」と聞いて(23節)、彼のことで「神をあがめていました」(24節)。このように書いているのは、パウロの使徒としての働きが承認されていたことの証しであるからです。

 結びとして、各自、自分がキリスト者になった時のことを思い起こしてください。その後の信仰生活の中で、劇的な変化を経験することがあったかもしれません。そのすべてが神の恵みによるのだ、ということを心に刻んでください。教会の制度の中で洗礼を受けてキリスト者となる、という形をとります。それは大事なことです。しかし、それを越えて《すべては神の恵みであったのだ》と確信することは、別の次元でもっと大事なことであると思います。私は神の恵みによってキリスト者とされ、母の胎にいたときから選び分けられていたのだと確信できたら、どんなにすばらしいことでしょう。  (2006.10.1 村瀬俊夫)

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