2015年12月23日水曜日

《ガラテヤ書連続説教 4》 福音の真理にまっすぐ歩むには

  アドベントを迎えましたが、月一回のガラテヤ書連続説教をさせていただきます。イエス様がこの世に来られたのは、世の人々に福音を告げるためでした。福音は神の愛です。神の愛がどれほど豊かであるか、その神の愛を人々に告げ、その神の愛に人々を招き入れるために、イエス様は来てくださいました。その神の愛は、ユダヤ人だけに限られるものではなく、ユダヤ人以外の人々(異邦人)にも与えられます。神の愛は、人種・身分・男女の差別も超えて、すべての人に豊かに及んでいるのです。
ガラテヤ書にも、そのことに関する大事な言葉があるので紹介し、共に味わいたいと思います。3章27-28節「パブテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。」 神の愛は、ユダヤ人・ギリシア人という人種の差別、奴隷・自由人という社会的身分の差別、男子・女子という性的差別を超えて、すべての人に注がれています。みんながキリストにあって、神の豊かな愛の中に招き入れられているのです。
  そのために福音は、異邦人にも宣べ伝えられなければなりませんでした。イエス様は、人種としてはユダヤ人としてこの世に来られました。救いの約束は初めにユダヤ人に示されましたが、それはその救いの祝福がユダヤ人を通してすべての国の人々に及ぶためでありました。そのことがイエス様の来臨によって明らかにされたのです。ですから、イエス・キリストの福音は、ユダヤ人だけではなく、異邦人にも宣べ伝えられていかなければなりません。その異邦人伝道が公に認められたのが、前回学んだように、エルサレム会議においてであります。
 こうして異邦人伝道は着実に進められて行くべきはずであったのに、それが実際にはなかなか難しかったのです。会議で決まったから、その決定どおりに事が運んでいくわけではありません。異邦人伝道が進展を見るためには、いろいろな試練を経なければなりませんでした。今回学ぶ箇所には、そのことを教えてくれる事件が記されています。アンテオケで生じた事件なので、聖書学者たちは《アンテオケ事件》と呼んでいます。
 この事件から教えられるのは、福音の真理にまっすぐ歩むことはなかなか大変である、ということです。そんなに難しくないことのように思いますが、実際には、そう思うようには実行できません。それは私も感じるし、皆さんも感じていることではないでしょうか。人間の弱さや人間の罪深さが、そこには介在しているのだと思います。
さて、この事件の舞台は、シリヤのアンテオケであります。このシリヤは、今日も国際的に問題となっている地域ですね。当時のアンテオケはシリヤ州に属して、人口50万を擁する屈指の大都市であり、シリヤ州の首都でもありました。現在のアンタキアはもっと小規模の都市で、シリアではなくトルコに属しています。当時のアンテオケに教会が生まれたのは、ギリシア語を話すユダヤ人たちによったのです。
当時のローマ帝国が支配する世界に共通して用いられていた言語はギリシア語であり、パレスチナ以外の諸地域に離散していた多くのユダヤ人は、ギリシア語を話しておりました。そして彼らが用いた聖書も、ヘブル語からギリシア語に翻訳された七十人訳聖書でした。エルサレム教会には、そういうギリシア語を話す離散のユダヤ人が来て加わっておりました。エルサレム教会が迫害されたとき、最初に迫害の対象となってエルサレムを追われたのは、このギリシア語を話すユダヤ人たちであったのです。
アンテオケ教会については、使徒の働き11章19節以下に記されています。「さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシア人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った」(19-21節)
このようにギリシア語を話すユダヤ人がアンテオケでは、ギリシア人にも福音を伝え始めました。そして、福音を聴いたギリシア人から多くの信者が起こされました。それでアンテオケ教会には、ギリシア人の信者もたくさんいたのです。そのギリシア人の信者はユダヤ人の信者と一緒に礼拝をささげ、交わりをしておりました。このアンテオケ教会の設立に大きな貢献をしたのがバルナバです。このバルナバが、アンテオケ教会の成長につれ、必要な助け手としてパウロをタルソからアンテオケに呼び寄せました。こうしてバルナバとパウロは協力して、アンテオケ教会の活動を盛り上げてきたのです。
その後、エルサレム会議が開かれて、異邦人伝道が公に認められたわけですが、それでもアンテオケでこのような事件が起こったということは、難しい問題がたくさんあるのだ、ということを改めて教えてくれます。このアンテオケ事件は、ケパ(ペテロ)がアンテオケに来ていたとき、「彼(ペテロ)に非難すべきことがあったので」パウロが面と向かって抗議する(11節)、という形で起こりました。パウロが大先輩のペテロに対して面と向かって抗議をしたというのは、それだけでも、大変な事件です。
パウロがなぜそのような行動に出たのか、その理由が書いてあります。「なぜなら、彼(ペテロ)は、ある人々がヤコブのところから来る前は異邦人といっしょに食事をしていたのに、その人々が来ると、割礼派の人々を恐れて、だんだんと異邦人から身を引き、離れて行ったからです。そして、ほかのユダヤ人たちも、彼といっしょに本心を偽った行動をとり、バルナバまでもその偽りの行動に引き込まれてしまいました」(12-13節)
ここに「ある人々」とあるのは、名前は分かりませんが、エルサレム教会の最高指導者であるヤコブのところから遣わされていました。ヤコブはイエス様の肉による弟であると言われ、また「義人ヤコブ」とも言われるくらい律法を守ることに熱心な人でした。ですから、ヤコブの指導下にあるエルサレム教会は、律法を守ることに熱心であって、そのためユダヤ教当局による直接の迫害も免れていたのです。そのヤコブのところからアンテオケ教会に来た人々は、もちろん、律法を守ることに熱心な人々でありました。
その人々が来るまで、アンテオケに来ていたペテロは、[キリストにあってはユダヤ人も異邦人もないという考えから]異邦人と一緒に食事をしていました。ところが、その人々がアンテオケに来ると、その人々に遠慮をし、また気を配ったからだと思いますが、ペテロは異邦人と一緒に食事をすることをやめてしまったのです。パウロを驚かせたのは、ペテロだけではなく、バルナバまでもが、ペテロにならって異邦人と食事をすることをやめてしまったことであります。
このことについて、なぜパウロは抗議しなければならなかったのか。なぜ彼は抗議せずにはおれない思いにされたのか。その理由を知ることが、本当に重要であると思います。ユダヤ人が異邦人と一緒に食事することをやめるなら、その行動は、神の恵みがユダヤ人・異邦人という差別を越えて分け隔てなく豊かに与えられるという福音の真理を否定することになるからです。
ヤコブに指導されたエルサレム教会の中には、キリスト者といえども律法を守り、割礼を受ける必要があると主張する人々がおりました。それが「割礼派の人々」と呼ばれています。彼らは、異邦人のキリスト者に、《イエス様を信じるだけでは足りない。さらに律法を守り割礼も受けなければならない。要するに、ユダヤ人のようになりなさい》と言うのです。その言い分がまかり通れば、ユダヤ人にもギリシア人にも差別なく神の愛が注がれるという福音の真理は、根本的に否定されてしまいます。それでパウロは、割礼派の人々におもねるような行為を見せるペトロ(ケパ)に対し、勇敢にも面と向かって抗議をしたのです。
そのことが、14節に書いてあります。「しかし、彼ら(この彼らはケパとバルナバのことを指していると思われる)が福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、……」「福音の真理について」は、欄外脚注に示されている別訳のように、「福音の真理に向かって」と読んで、「まっすぐに歩んでいない」に続けるほうがよいと思います。「向かって」と言うのは面倒くさいので省いて、「福音の真理にまっすぐ歩んでいない」としても、よいのではないでしょうか。
ケパたちが「福音の真理にまっすぐ歩んでいないのを見て、」パウロは「みなの面前でケパに」抗議をせざるを得なかったのです。
福音の真理に[向かって]まっすぐ歩んでいないということは、具体的には、《キリストによって示された神の愛は、人種的・社会身分的・性的な差別を超えて、分け隔てなく豊かに与えられている》という真理を損なうことに他なりません。
パウロがケパに向かって抗議した言葉は、14節後半に書いてあります。「[ペテロさん、]あなたは自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活していたのに、どうして異邦人に対して、ユダヤ人の生活を強いるのですか。」これは次にように言い換えると、もっと分かりやすくなるでしょう。「あなたは福音の恵みを深く味わい、それにふさわしい歩みをしていたのに、どうしてそれを捨てるようなことをするのですか。」
使徒の働きの記述を、もう一度、参照させていただきます。その10章には、ペテロが異邦人のところへ伝道に行った場面が紹介されています。なんとペテロは、パウロより先に、異邦人伝道をやっているのです。ローマ軍の百人隊長コルネリオのとろに導かれて、ペテロは福音を語りました。その結果、コルネリオを初め、彼の部下の兵士や家族である異邦人たちがみなイエス・キリストへの信仰に導かれました。その時の様子が書いてあるのです。
「そこでペテロは、口を開いてこう言った」で始まる34節以下のペテロの言葉を読んでみます。「これで私は、はっきりわかりました。神はかたよったことをなさらず、どの国の人であっても、神を恐れかしこみ、正義を行う人なら、神に受け入れられるのです。神はイエス・キリストによって、平和を福音し、イスラエルの子孫にみことばをお送りになりました。このイエス・キリストはすべての人の主です。……イエスについては、預言者たちもみな、この方を信じる者は[ユダヤ人であると異邦であると関係なく]だれでも、その名によって罪の赦しが受けられる、と証ししています」(34-43節)
ペテロは、「神はかたよったことをなさらないお方だと、はっきりわかりました」と言っているのです。それなのに、どうして彼は、ヤコブのところから遣わされた人々がアンテオケ教会に来たとき、それまでしていた異邦人キリスト者と食事を共にすることをやめてしまったのか。それは、せっかく神からいただいた恵みを捨て去ること、福音の真理にまっすぐ歩むのをやめてしまうことではないか。このようにパウロは、みなの面前でケパに抗議をしたのです。
今回は、ここまでにしておきます。続く15節以下を、新改訳聖書は、パウロがケパに抗議している言葉が続いているものと理解して、カギ括弧を14節で閉じることをしないで、21節で閉じています。これには異論があります。私は、パウロがケパに向かって言った言葉は14節だけで、15節以下は、パウロ自身の解説と理解したほうがよい、と考えています。それで今回の説教も11節から14節までと致しました。
それに続いて、パウロは、《人はイエス・キリストの信仰によって義と認められるのです。それには何の差別もありません》という信仰義認の教理を展開してまいります。福音の真理は、最初に言いましたように、満ちあふれる「神の愛」です。「キリストの愛」と言ってもよいでしょう。それはすべての人に分け隔てなく及んでいます。そこには何の差別もありません。この福音の真理に私たちが生かされて、この真理にまっすぐ歩んでいくためには、いつもイエス・キリストとの豊かな、生きた交わりを保たせていただかなければなりません。
 ペテロがそれまでしていた異邦人と食事を共にすることをやめたのは、ヤコブのもとから遣わされた人々のことを配慮したからです。私たちが実際に生活していくとき、配慮しなければならないことがたくさんあります。そういうことに配慮しすぎて、福音の真理にまっすぐ歩むことをないがしろにしてしまう、ということが起こります。福音の真理にまっすぐ歩みたいだのけれど、実際にはそうすることができない、というジレンマに直面することもあるでしょう。
 13節に「本心を偽った行動」とあるのは、「偽善」と訳せる言葉であります。本当はそうしたくないのだけれど、やむを得ずそうしなければならない。そういうことが、多くあると思います。でも、そういうことには、よくよく注意せよ。福音の真理を豊かにいただき、福音の真理にまっすぐ歩むようにしなさい。そうするこがどんなに大事であるかを、パウロが教えてくれているのです。
 クリスマス、それは神の豊かな愛が私たちに示されている時であります。この愛の中にだれもが差別なく包まれていく、そのような恵みにみんながあずかってほしい。この世の中には、差別しようとする力が強く働いています。そのような力を押しのけて、そのような力に私たちが押しのけられないで、《神の豊かな愛がすべての人に及んでいる》という証しを、しっかり立てていきたい。

そのために、福音の真理にまっすぐ歩みましょう。そのようにパウロが、私たちに勧めてくれています。このさい私たちも、活けるイエス様との交わりを大切にし、日ごと新たにイエス様の愛をいっぱい受けてまいりましょう。イエス様に愛されていることを身にしみて感じるとき、「本心を偽った行動」をすることからも救い出されて、おのずから福音の真理にまっすぐ歩むことができるようにされていくのです。   (2006.12.3 村瀬俊夫)

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