2005年のアドヘントの第三礼拝ですが、私の説教はヘブル書の連続とさせていただきます。モーセが今回の個所の主題になっています。前回はアブラハムについて学びました。ヨハネの福音書8章で、イエス様は「アブラハムはわたしの日を見て喜んだのだ」と、本当にビックリするようなことを言われています。モーセについては、直接そういう言及はありませんが、私は「モーセもキリストの日を見ていたのではないかな」と思います。ですから、アドベントの礼拝でモーセのことを話すのもよろしいのではないか、と聖霊に教えられている思いです。
11章には、約束のものを待ち望む信仰に生きた[旧約の]人々の模範が列記されています。すでに何人かの方々を学んでまいりました。今日は23節から31節までですが、この個所は明白に新しい段落になっています。新改訳聖書がどうして段落を設けなかったのか、私は不思議でなりません。モーセのほかにも幾人かの人が出で来ます。固有名で出てくるのは遊女ラハブで(31節)、その前の30節には「人々」と出てきます。これはヨシュアに率いられたイスラエルの人々のことで、彼らがみな「信仰によって」生きたのだ、と評価されているのです。
しかし、モーセのことが一番詳しく述べられています(23-29節)。モーセの生涯を知るのは、出エジプト記、民数記、申命記からです。モーセの生涯は、どういうものであったか。ヘブル書の著者によると、目に見えない神の臨在を確信して、その神のことばへの信頼と服従に生き抜いた人として、モーセを見ています。これはモーセについての評価ですが、私たちもそのように評価されたいと思います。村瀬俊夫の生涯について、「見えない神の臨在を確信し、その神のことばへの信頼と服従に生き抜いた生涯であった」と言われたら、本当にうれしいと思います。皆さんもそう思われるでしょう。モーセの生涯を学びますが、<それは私たちの生涯のことであり、私もそのようでありたい>という思いで聴いていただけるなら、うれしく思います。
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まず、モーセについて言われている注目すべき言葉を見ましょう。「彼は、キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富と思いました。彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです」(26節)。「キリストのゆえに受けるそしり」という言葉に注目してください。なぜ、そんなことが言えるのでしょう。モーセが「キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる大きな富」と思った理由が、後半に「彼は報いとして与えられるものから目を離さなかったのです」と書いてあります。
「報いとして与えられるもの」とは何でしょうか。天にある都というのが正解でしょうが、それを確実に与えてくださる方はキリストですから、私は「モーセはキリストから目を離さなかったのだ」と思います。表の意味は天にある都です。しかし、その裏にある意味が、その都をもたらしてくださるキリストであります。そこで、すぐ思い浮かぶ聖句があるでしょう。「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい」とある12章2節です。この聖句と、11章26節の「報いとして与えられるものから目を離さなかった」とは、対応している表現であると見てよいでしょう。
ヘブル書の著者は、12章2節にあるように、イエス・キリストを信仰の創始者また完成者であると見ています。その「信仰」は、11章1節で学んだように「望んでいる事柄を保証し、目に見えないものを確信させる」信仰でしょう。「目に見えないもの」の最たるものが神です。その目に見えない神を確信させてくれる信仰を、私たちのために創始してくださる方が、イエス様なのです。この創始者という言葉には、それが本来「先に立つ者」という意味ですから、別に「導き手」という訳もあります。イエス様は、信仰の創始者・導き手であるとともに、信仰の完成者でもあるのです。イエス様は、[アブラハムもモーセも足元にも近づけないほど]父なる神に信頼し、目には見えないが父なる神は共におられることを確信して、歩み通されました。
モーセは、そのイエス・キリストから目を離さないで歩みました。それで「キリストのゆえに受けるそしりを、エジプトの宝にまさる富と思う」ことができたのだ、と言うことができるわけです。このようなモーセの信仰の歩みの中に、ヘブル書の著者は「キリストのゆえに受けるそしり」を見たのだと思います。私たちがキリスト者として歩む中にも、「キリストのゆえに受けるそしり」を、各自が自分なりに体験させられていくものではないでしょうか。
私が非常に心引かれている人として、ディートリヒ・ボンヘッファーのことを思います。1945年4月、ドイツが降伏する一ヶ月前に、彼は処刑されて世を去りました。39歳でした。彼は本当にすばらしい人物です。家系も良く学問も積み、若くして学問的業績を上げていました。その頃、ドイツではヒトラーが政権を手にしました。そのヒトラーの正体をいち早く見破ったのが、20歳代半ばのボンヘッファーでした。ヒトラー歓迎の風潮が高まる中で、彼はヒトラーへの厳しい警戒の言葉をラジオ講演で述べたのです。そのように時代の流れと行く末をよく見抜くことができた人でありました。
彼は後にヒトラーとの闘争に身を投じて行きます。その意味では、政治的に深くかかわったことになります。でも彼は、他面において、深く内面的信仰を培った人でした。それは『共に生きる生活』あるいは『キリストに従う』という彼の著作を読むと、よく分かります。アシュラムのようなことを、彼はとても大事にしていました。聖書はただ読むのではなく、<聖書を通して神が語ってくださる言葉に聴いて応えていくのだ>ということを強調し、そのことを牧師研修所の所長(時に彼は30歳前後)として牧師になろうとする人々に教えました。そのように彼自身が聖書から神のことばを聴き、その福音に応えて生きるために、彼はヒトラーを倒さなければいけないと考え、ヒトラー暗殺事件に関与し、逮捕されて処刑の日を迎えたのです。
そうなる前に、彼はいくらでも国外に出る機会がありました。アメリカのある神学校では、優秀な彼を教授に招く用意もしていました。でも、彼は「ドイツの国民と苦しみを共にすることをしなかったら、私がキリストに従う意味はどこにあるのか」という思いで、危険を覚悟してドイツに帰って来たのです。そういう彼も、「キリストのゆえに受けるそしり」を、国外にいれば自分が受けたであろう多くの名誉にまさる大きな富と考えた証人の一人である、と私は思います。
ボンヘッファーが最後まで神とキリストに従った信仰の姿が、彼の処刑の時に居合わせた収容所の医師によって証しされています。絞首刑が行われる前に、彼は控えの部屋で何をしていたのか。収容所の医師へルマン・フィッシャーは、<彼がひざまずいて祈っている姿を見た>と証言しているのです。彼はいつも、死を前にしても、目に見えない神が本当におられるのだと確信して生きた人なんだと思います。私たちも、そのような確信をもって歩む人にさせていただきたい、と心から願わされます。
ボンヘッファーが最後まで神とキリストに従った信仰の姿が、彼の処刑の時に居合わせた収容所の医師によって証しされています。絞首刑が行われる前に、彼は控えの部屋で何をしていたのか。収容所の医師へルマン・フィッシャーは、<彼がひざまずいて祈っている姿を見た>と証言しているのです。彼はいつも、死を前にしても、目に見えない神が本当におられるのだと確信して生きた人なんだと思います。私たちも、そのような確信をもって歩む人にさせていただきたい、と心から願わされます。
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モーセの信仰は、実は、両親の信仰に始まります。ですから、この段落の初めに、「信仰によって、モーセは生まれてから、両親によって三か月の間隠されていました。彼らはその子の美しいのを見たからです。彼らは王の命令をも恐れませんでした」(23節)と書いてあります。このことは出エジプト記1章に記されています。紀元前13世紀頃のエジプトの王朝は、エジプトにいるイスラエル人の[数百年も前の]先祖ヨセフのことは知りません。その頃のイスラエル人は、エジプト王の建築事業のために奴隷として酷使されていました。それでもイスラエル人の女がたくさん子ども産むので、その繁殖力を恐れたエジプト王は、生まれてくるイスラエル人の男子は殺せ、という命令を出したのです。
モーセは男の子として生まれたので、生まれると同時に殺される運命にありました。しかし、両親は生まれた男の子を殺さず、ひそかに家の中に匿(かくま)って育てたのです。でも、三か月もすると、泣き声がやかましくて隠し切れなくなります。聖書以外にもモーセの生涯について記した書物があります。フィロンというアレキサンドリア在住のユダヤ人哲学者がいました。イエス様より少し後の時代の人で、たくさんの書物を残しています。その中に『モーセの生涯』と題する1冊がありますが、そこには「三ヵ月後、彼ら(モーセの両親)の神経は極限に達して、誕生のとき殺してしまえばよかったと思うほどであった」と書いてあるのです。
ついに隠し切れずに、両親はパピルス製のかごに赤ちゃんのモーセを入れ、ナイル川の葦の茂みの中に浮かべました。すると、幸いなことに、赤ちゃんのモーセはエジプトの王女に助けられ、エジプト王パロの娘の子として育てられることになります(出エジプト2章)。エジプトの王宮で当時の最高の学問を学ぶ機会に恵まれて成人したモーセについて、聖書以外の書物がいろいろな情報を寄せています。先に挙げたフィロンの『モーセの生涯』によると、モーセは算術・幾何学・詩・音楽・哲学・占星学に通じていました。
また、ヨセフスという[イエス様より少し後に活動した]ユダヤ人が書いた『ユダヤ古代史』という長編の著作の第2編に、モーセのことが述べられています。それによると、聖書に書いてあるように、<彼は知恵に恵まれて、容姿も美しかった>と言われていますが、それ以外に、エジプトがエチオピアへ軍を進めたとき、<モーセは軍司令官であった>ということが書いてあるのです。それでモーセは軍事にも長けていた人だ、ということがヨセフスの記録から分ります。
さらに、ヨセフスよりも前の時代の人であるエウポレモスの著作によると、<モーセはアルファベットの創案者である>と言われています。これはかなり飛躍のある意見で、信頼性に欠ける情報だと思いますが、モーセがアルファベットを創案し、それがフェニキア人を通してギリシア人に伝わった、と言われているのです。モーセはエジプトの王子として、至れり尽くせりの環境の中で、学問や技芸を習得し、軍事的指導者としての訓練も積んでいたのではないでしょうか。
しかし彼は、そうしたことに甘んじないで、自分がイスラエル人であることを自覚したとき、神の民であるイスラエル人と共に苦しむ道を選び取りました(25節)。ここで私たちは、モーセがその方から目を離さなかったと言われる、キリストのことを思います。イエス・キリストは、神と等しい方、まさに神ご自身であられたのに、その栄光の中にとどまることをよしとされないで、私たちと同じ人のかたちを取って世に来られました。そして死の苦しみを味わう道を選び取られたのです(ピリピ2:6以下参照)。モーセはその先駆けであったのだ、と言うことができます。
そのモーセについて、27節に「信仰によって、彼は、王の怒りを恐れないで、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見ているようにして、忍び通したからです」と書いてあります。イエス様も、地上のご生涯において幾多の苦しい谷を通り、山を越えていかれました。十字架の苦しみは、その最たるものです。しかし、その時も、目に見えない方を見ているように、父なる神が共におられるのだと確信して、忍び通されました。
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モーセがパロと対決するのは大変なことでした。パロは絶大な権力者です。このパロに「イスラエルの民をエジプトから出させてください」と要求する中で、神がエジプトに十の災害を与え、初子を滅ぼす第十の災害が決め手になって、パロはイスラエルの民がエジプトを出ることを許します(出エジプト12章)。しかし、それからも大変でした。出て行くイスラエルの民をエジプト軍が追いかけてきたからです。イスラエルの行く手には海があります。後ろからエジプトの大軍が迫って来ます。絶体絶命のピンチです。
そのとき神は、モーセに力を与え、前方をさえぎる海の間に陸地を設けてくださいました。紅海が二つに割れたのです。29節に書いてあるように、「信仰によって、彼ら(イスラエルの民)は、かわいた陸地を行くのと同様に紅海を渡りました。」 イスラエルが渡り切ると、割れた海が元に戻って、追いかけて来たエジプトの大軍をのみこんでしまったのです(出エジプト14章)。
30節と31節に触れて終わりますが、そこに書いてあるのは、約束の地を目前にしてモーセが死に、後継者ヨシュアに率いられたイスラエル軍が約束の地に入って、城壁で囲まれたエリコの町を占領することにまつわる出来事です。難攻不落と思われたエリコの町の城壁は、ヨシュアが神に指示されて七日の間、周囲を[最初の六日は一回、七日目には七回]回ると、たちまち「くずれ落ちました」(30節)。こうしてイスラエル軍はエリコを占領することができたのです(ヨシュア6章)。
そのエリコには遊女ラハブがおりました。ヨシュアに率いられたイスラエル軍は、闇雲(やみくも)にエリコに攻め入ったのではありません。よく敵情を偵察するために、二人の斥候をエリコに忍び込ませます。彼らが忍び込んだのは遊女ラハブの家でした。なぜ二人の斥候がそんな所に忍び込んだかというと、出入りが多くて目立たないし、何よりも情報が入手しやすかったからです。その時にラハブは、この二人が普通の人ではなく、またイスラエルの人だということを知りました。それで彼女は彼らをかくまったのです。
イスラエルの斥候がエリコに忍び込んだことはエリコの王にも知らされ、王の使いの者たちがラハブの家を調べに来ました。二人の斥候を絶対に見つからない所に隠したラハブは、「彼らは暗くなるころ町を出て行きました。追いかければ間に合うでしょう」と言って、王の使いたちを退散させます。その後、ラハブは二人の斥候にお願いをします。「やがてイスラエル軍が攻めて来てエリコの町が滅びる時に、私のことを覚えて助けてください」と。そのとき交わした約束事のおかげで、エリコが陥落したとき、ラハブはイスラエル軍によって助けられたのです(ヨシュア2章、6:17以下)。
なぜ彼らは、そのようにすることができたのか。見えない方を見ているように確信して行動したからである、と言うべきです。エリコの城壁を回ったところで何が起こるのか。そんなばかばかしいことができるもんか。そう思いたくなる人間の常識を超えて、彼らがそうすることができたのは、目に見えない神が共におられるということを、まさに見ているように確信したからではありませんか。私たちにとっても、復活の主キリストは目に見えませんが、聖霊によって私たちのところに来て共におられることを、日々のみとばの静聴によって確信して歩むことが、本当に大事なのです。 (村瀬俊夫 2005.12.11)
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